御霊図子

morohiro_s2004-05-25

寺町丸太町下ルの下御霊神社の裏手にあるお蔵。豪快に壁が剥げ落ちているが、佇まいが好きで、わざわざこの道を通ることが多い。ちなみに手前の細い道は、丸太町と竹屋町の間を走る三〜四町しかない通りで、「御霊図子」という。京都でも知らない人が多い道である。はじめてこの通りの名前を見たとき、思わず「御霊厨子」と読んでしまい、霊魂のこもった厨子を想像して、陰陽師でも出てきそうな気がして、気味悪く思ったことがある。でも正解は「図子」。「辻子」とも書く。「岩波日本史事典」(システムソフト電子辞典版)には次のようにある。

    • 【辻子】途子,図子とも記す。前近代の都市において,当初の町割の後に通された小規模な路地。路地の両側に形成された町の名称としても用いられる。家屋敷の裏地などの空閑地は商業上の価値は低かったが,辻子の開通により再開発されることとなった。中世の辻子女はこの辻子に根拠を置く遊女。

成る程、都市構造の変化に関わる通りなのか。もう少し調べてみたくなる。というわけで、禍々しいことは何もなく、単に下御霊神社の横に作られた路地という意味であった。