駅ナンバリング

morohiro_s2008-10-23

知らないうちに駅番号が付いていた。京都精華大前駅は「E12」。いつの間に、と思って調べてみたら、http://www.keihannet.ne.jp/eiden/densya/station/ekinunber/nambering.htmlに10月19日からだと書いてあった。こないだの日曜日からか。京阪の中之島線開通+京都三駅駅名改称の日だね。親会社の諸変更に併せて付けたという訳か。駅番号って、初めて見たときはなんじゃこれと思ったけど、多分、はじめてその地に来る人にとっては、結構便利なモノなんだろうな。


駅番号は、出町柳駅がE01で、まず叡山本線八瀬比叡山口駅(E08)まで通し番号で、そのあと鞍馬線三宅八幡駅(E09)から鞍馬駅(E17)となる。やっぱり本線が最初なんだね。でも叡電の場合、本線が8駅、鞍馬線が15駅(分岐点の宝ヶ池駅からでも10駅)と圧倒的に支線が長いという珍しい鉄道。これはまず出町柳から八瀬までの京都電燈叡山線ができて、そのあと山端(現・宝ヶ池)から鞍馬に行く鞍馬電気鉄道ができて、それが繋がるという歴史的な経緯による。出町柳からでも本線のホームは一つなのに対し、鞍馬線のホームは二つある。でもやっぱり本線が一番なんだね。


歴史的な経緯は以下。


別にテツでもなんでもないんだけど、叡電に関してだけは詳しく調べたくなるサルでした。


ついでにその後の叡電の歴史を。同じく上記ウィキペディアより抜粋引用。小さい文字は、引用者コメント。

  • 1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道に譲渡。 ここで「京福」となる。のちに嵐電もここに合併。
  • 1949年(昭和24年)12月11日 元田中 - 山端間で、京都市電からの乗り入れ運転を開始。 市電との乗り入れがあったというのは知らなんだ。
  • 1954年(昭和29年)6月10日 山端駅を宝ヶ池駅に改称。 山端(「やまばな」と読む)の方が地名的には適当だと思うのだが、宝ヶ池で行われていた競輪のために、ちょっと離れた宝ヶ池の名前を冠したのだろう。ちなみに上の市電との乗り入れは、競輪開催日だけだったらしい。宝ヶ池に市営競輪場があったというのも最近知ったこと。
  • 1955年(昭和30年)9月1日 この日をもって京都市電からの乗り入れ運転を終了。 競輪場の廃止との関係
  • 1978年(昭和53年)10月1日 京都市電が廃止。東大路通交差点を踏切に変更。鉄軌道による他線との連絡が絶たれる。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 叡山電鉄に分離譲渡。 ここで「京福」ではなくなる。でも叡電がもう京福とは関係がなくなっていることを知らない人も多い。
  • 1989年(平成元年)10月5日 京阪電気鉄道鴨東線開通。同社出町柳駅開業。再び鉄道他線とつながる。