維新の顕彰碑と京都市教育会

少しだけ、近代における明治維新の位置づけの歴史について調べはじめている(別にこれで論文を書くというわけではないが)。で、維新がらみの顕彰碑をフィールドミュージアム京都 いしぶみデータベースでぱらぱらと見ていると、大体20世紀初期(大正から昭和初期)に建てられていることが分かった。なかでも1927年から28年にかけて、京都市教育会によって建てられたものが、池田屋騒動碑をはじめとして多く見られることに気付いた。なんでだろう。やはり1928年の天皇代替わりの式典--いわゆる「御大禮」--に間に合わせるように作ったんだろうか。天皇が京都に帰ってくるというイヴェントに併せて、近代国家成立時における京都の同一性を再定義しようとする思惑が、京都地方政府にあったと見てもいいか。


京都市教育会と記念碑については、中村武生氏の以下のエントリで言及されている。

以下の論文も興味深そう。


どうやら京都市教育会って、近代京都の戦略的アイデンティティを考える上で、重要なエージェントらしい。これが顕彰碑に止まらず、絵画や写真も動員していたら、論文書けるかも。