関西日仏学館
今日は、ここでクロード・エステーブさんと甲斐扶佐義さんと一緒にゆるーく古写真の話をしてきた。
ここの歴史は面白い。
1927年に、ポール・クローデルにより、現在のヴィラ九条山の場所に開設され、今の場所に移ったのが1936年。その両方に関わったのが稲畑勝太郎である。染料会社の創業者で、大阪商工会議所の会頭や貴族院議員もやる。つまり大金持ち。リュミエール社からシネマトグラフとフィルムと興行権を買取り、またリュミエール社のフィルムにも写っていることで、映画史でも有名な人物である。
36年の建物が↑の写真に写っている建物である。レイモン・メストラレと木子七郎によるもの。「木子」といえば? と思ってちょっと調べたら、やっぱり木子清敬の息子だった。木子清敬は、もと御所の大工で、宮内省に入り、東大(帝国大学工科大学)ではじめての「日本建築史」の講義を担当し、平安神宮の模造大極殿の監督長として伊東忠太を技師として京都に送り込んだ人。色んなところに繋がるなぁ。