「ゲームのルール」詳細

ちなみに「ゲームのルール」とは、我が愛する山田風太郎魔界転生(上) 山田風太郎忍法帖(6) (講談社文庫)』で出てきた凄い章(p. 388~447)。キリシタンの秘法により蘇生した死人たち(天草四郎宮本武蔵、柳生宗則など)を、柳生十兵衛が次々に打ち倒していくというストーリー。十兵衛が一人一人対決するために、普通の小説家なら何か理由を考え出すか、あるいはシカトするかのどっちかだろうが、いい加減なのか誠実なのか風太郎は「ゲームのルール」という乱暴な章を建てて、一人一人対決することを決めてしまう・・・詳細は次の通り。

草の乱の生き残り、森宗意軒は、西洋伝来の妖術(黒魔術?)と忍法をミックスして、死者を蘇らせる忍法「魔界転生」をあみだす。この世に恨みを遺して死に、忍法によって蘇った者は、生前以上の力とデモーニッシュな心を持つ。蘇った者は、荒木又右衛門、天草四郎、田宮坊太郎、宮本武蔵宝蔵院胤舜柳生但馬守、柳生如雲斎という名剣士ばかり(天草四郎はちょっと違うが)。由井正雪を巻き込んだ宗意軒は、紀州徳川家を抱き込み、魔剣士たちを使って幕府転覆を計画する。彼らが最後に抱き込みたかったのは柳生十兵衛であったが、十兵衛はそれを拒み、魔剣士たちと対決することになる。

で、ここで出てくるのが「ゲームのルール」という章。このように一人のヒーローが、次々にタイマンで敵を倒していくというのは、時代劇でも、マンガでもよくある話だけど、その理由は示されずになしくずしに一人ずつ対決することになってしまうのが通常である。*1ところが山田風太郎という人は、妙に律儀である。他の小説でも、とんでもない忍法にいちいち疑似科学的な解説を付けることでわかるように(浸透圧がどうのこうのとか)。ここでも、律儀に理由を語る。

  • 森宗意軒としては、十兵衛も魔剣士にしたい。
  • 魔剣士たちは、十兵衛を「遊び」で、なぶり殺しにしたい。だから一人目は耳、二人目は片腕、というように七人目で瀕死にするように持っていきたい。
  • 十兵衛が守る娘三人*2の身の安全を図るために、魔剣士たちと一人ずつ立ち会っている限り、紀州藩の介入はナシとする。
  • ただし、これらのルールは、十兵衛一行が紀州領にいるときのみに限る。

で、ルールが定まる訳である。この説明に延々ページを消費する訳で、やっぱり風太郎サンって変な人。

この「変」な感じはどこから来るのかというと、風太郎が「ゲームのルール」と発言した途端、その部分は小説世界の外に半歩ほどはみ出してしまうことに由来するのでないか。いわばメタ・フィクションなのだけれども、「ここからが小説の外部世界ですよ」という標識なしに風太郎ははみ出してしまう*3。そのはみ出し具合が気持ちいいというか気持ち悪いというか。後の明治モノとか『八犬伝』におけるファクトとフィクションが溶け合っていく面白さに通じるのだろうか。

*1:その結果、「全員で一度に掛かれば一発やん」とつっこまれる次第

*2:柳生の高弟の娘たちで、紀州候に狙われている

*3:小説内でメタ・レヴェルにはみ出す時の標識の例としては、クイーンなどの「読者への挑戦」が考えられる