人間臨終図巻

辞書っていうのは面白い。すべての歴史的、社会的な文脈をはずして、すべてを50音順やアルファベット順に整列させてしまう。たとえば歴史叙述だったらマネの近くには、クールベであったり、あるいはモネとかが来るはずだが、たとえば手元にある人名辞典だと、マネは15世紀の東ローマ皇帝マヌエル2世と11世紀の聖職者マネゴルトに挟まれている。英語の人名辞典だと、3世紀のペルシャの予言者マネズ(Manes)と紀元前1世紀のローマの政治家マニリウス(Manilius)に挟まれていたりする。辞書をぱらぱらとめくる楽しみはこんなところにある(最近はコンピュータの辞書になって、便利になったけど、こういう楽しみはなくなってきている)。
ところで、マネが、バルザック岩崎弥太郎に挟まれる場合がある。それは何かというと、死んだ年齢である。古今東西のさまざまな人たちをその享年で並べかえる試みである。そんなとんでもない試みをなした張本人は、山田風太郎。『人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)』『人間臨終図巻〈2〉』『人間臨終図巻〈3〉』である。15歳で死んだ八百屋お七からはじまり、121歳の泉重千代にいたるまでの人の死が、享年順→死亡年順で並べられ、その死の様子が語られていくのである。だから1850年に51歳で死んだバルザックと1885年に51歳で死んだ岩崎弥太郎の間に、1883年に死亡したマネは挟まれる訳である。ちなみに51歳で死んだ人にあげられているのは、後醍醐天皇井原西鶴キャプテン・キッド(海賊)、平賀源内、バルザック、マネ、岩崎弥太郎、星亨(政治家)、岡倉天心プルースト宮崎滔天辛亥革命の協力者)、リルケマキノ省三(映画監督)、永田鉄山(陸軍中将)である。まったく縁もゆかりもない人びとが、享年51歳で括られる面白さ。「死」の痛ましさだけでなく、その滑稽さをつきつめた風太郎の傑作と言っていいだろう。
それぞれの章(というか「51歳で死んだ人々」という括り)の冒頭には、さまざまな人による、そして風太郎自身によるアフォリズムが添えられている。僕の好きなのは風太郎の「最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う」とか「別れの日。/行く人『やれやれ』/送る人『やれやれ』」とか。今年、特に葬儀に出る機会が多かったので、色々考えさせられる。
死に際しての言葉も多く採録されている。風太郎自身のベストは、近松門左衛門(71歳)と勝海舟(76歳)らしい。近松は重い。風太郎は、文筆家としての自らを重ね合わせたのだろう。近松は死の年に自らの肖像に賛を記す。実際は何も知らないのに、商売や外国のことやさまざまなことを「知らぬことなげに、口にまかせ筆に走らせ一生を囀り散らし」と自嘲気味に自らの文筆生活を語った後に「今わの際に言うべく思うべき真の一生事は一字半言もなき倒惑」。それに対して海舟はあくまでも軽やかである。死の床で妹に語った言葉は、「コレデオシマイ」であったそうである。
山田風太郎自身は、2001年享年79歳で死亡した。法然藤原定家本阿弥光悦、大久保彦左衛門、銭屋五兵衛、北里柴三郎、川口慧海、ガンジー幣原喜重郎長谷川伸谷崎潤一郎山田耕筰桂文楽(八代目)、林武、今東光山手樹一郎、マウントバッテン、沢田美貴、横溝正史、武見太郎とつづくリストの最後に載るはずである。