没後写真

ポストモータム・フォトグラフィ(Postmortem Photography)、すなわち没後写真とは、親族などの安らかな死に顔を写真に撮り、故人を偲ぶよすがとするものである。19世紀、ダゲレオタイプの時代、特にアメリカではよく見られる。とくに生後まもなく死んだ子供であることも多い。それについては、Jay Ruby, Secure the Shadow: Death and Photography in AmericaやGeoffrey Batchen, Forget Me Not: Photography and Remembranceといった優れた研究がなされているし、日本語で読める文献としては、飯沢耕太郎写真の力』に「Memento Moriーー死者たちの肖像」というエッセイがある。ちなみに、そうした初期写真が多く載せられているサイト(http://thanatos.net/galleries/categories.php?cat_id=1)もある。
と、唐突に書いたのは、今日たまたま、ある事例を見て、改めて没後写真について考えさせられたからである。ある葬儀のため、日帰りで東京へ行った。出棺の直前、最後のお別れの時であった。天寿を全うし、それは安らかで清いかんばせであったのだが、それをデジカメで撮影している人がいたのである。もちろん、撮影者は、興味本位ではない。おそらくは、その撮影者の追悼の気持ちの発露であったようである。
上記のように、19世紀(ルビーの本には、1980年代の例もあるが)のアメリカでは、没後写真は普通のことであった。ただ、日本では、慣習的か倫理的な理由によって行われないものだと思っていた。そこで驚嘆した訳である。
これは「デジタル」が可能にしたことなのだろうか。もしそうだとしたら、その「写真」は、プリント・アウトされるのであろうか。そしてこれは悼の儀式として普通のこととなっていくのだろうか。「死」と写真の問題については、遺影写真を研究テーマの一つとしている者としては、さらに考えなければいけない。