霊柩車の変容

昨日は通夜で今日は告別式。この歳になると、葬礼に出ることが多くなる。
今日、葬儀社の人に聞いた話。最近は、井上章一新版 霊柩車の誕生 (朝日選書)』で論じられたような「宮型」の霊柩車を見ることが少なくなった。ほとんどは、「洋型」と呼ばれるものである(http://www.nittoku-jihan.co.jp/02.htmlを参照)。趣味が変わってきたのかなと思っていたら、それだけではないという。
最近は、自宅で葬儀を挙げることがなかなかなくなり、その代わりに葬祭場で行われることが多くなっている。で、そうした葬祭場を建てる場合に、付近住民とさまざまな契約を交わすらしいのだが、そのなかに「宮型霊柩車を使用しないこと」という条項が含まれることがあるのだそうである。すなわち、あまり目立たないようにということらしい。なるほど、いろいろあるのだな。あっ、ウィキペディアにも書いてあった→「http://ja.wikipedia.org/wiki/霊柩車」をブラウザにコピペ。
遺影写真の研究の際に、いろんな葬送儀礼についても調べた。日本では、明治くらいまでは儀礼の中心は棺を墓地まで付き従って送る「野辺の送り」が葬送儀礼の中心的なものであった。御堂筋を大々的に行進した大金持ちもいたらしい。それが明治に中江兆民が非宗教の「告別式」を提起してから、徐々に告別式が儀礼の中心になっていき、今日に至る。ただその野辺の送りの名残の一つが、派手な「宮型」であったのだが、それが「洋型」に変わっていくということは、いよいよ「野辺の送り」的なものが消えていく一つのサインであるのかもしれない。思いついただけだけど・・・