『明るい部屋』と死

遺影写真についての文を書くために、久しぶりにロラン・バルトの『明るい部屋―写真についての覚書』をひっくり返し、「死」に関わる部分をいくつか抜き出してみる。

結局のところ私が、私を写した写真を通して狙うもの(その写真を眺める際に《指向する物》)は、「死」である。「死」がそうした「写真」のエイドス(本性)なのだ(25)。

《写真》の場合、事物が(過去のある瞬間に)現存したという表現は、決して隠喩ではない。生物に関して言えば、それが生きていたという表現もまた、決して隠喩ではない。ただし、死体を写した場合は別である。というよりも、その場合、写真が恐ろしいものとなるのは、いわば死体が死体として生きている、ということを写真が証明するからである。つまりそれは、死んでしまったものの生きている映像なのである(96-97)。

写真は、その現実のものを過去へ押しやる(《それは=かつて=あった》)ことによって、それがすでに死んでしまっているということを暗示する。それゆえ、「写真」のたぐいない特徴(そのノエマ)は、誰かが血肉をそなえた指向対象、あるいは個人としての指向対象を目撃したという点にある(たとえ指向対象が事物であってもそうである)、と言ったほうがよいのだ(97)。

「写真」は何か復活と関係があるのだ。「写真」については、ビザンチン人がトリノの聖骸布にしみ込んでいるキリストの像について言ったことを、そのまま繰り返すことができるのではなかろうか? つまりそれは、人為によるものではない(acheiropoietos)と(102)。

世界中を駆けめぐって、今日的問題を捉えることに余念のない、あの若い写真家たちは、みな、自分が「死」の代理人であることを知っていない。われわれの時代は、そうしたやり方によって「死」を引き受けるのである。つまり、「写真家」は、いわば猛烈に生き生きしたものの専門家であり、われわれはその生き生きとしたものをアリバイにして、「死」を否認しつつ引き受けるのだ。というのも「写真」は、歴史的には、十九世紀に始まる《死の危機》と何らかの関連をもつにちがいないからである。〔中略〕もろもろの儀式の衰退と軌を一にして出現した「写真」は、おそらく、宗教を離れ儀式を離れた非象徴的な「死」が、われわれの現代社会に侵入してきたことに呼応するものであろう。〔中略〕/「写真」とともに、われわれは「平板な死」の時代に入ったのである(114-15)。

最後の「死の危機」に関しては、フィリップ・アリエスのいう19世紀における「タブー視される死」の登場との関係を考えてみなくてはいけない。アリエス死と歴史―西欧中世から現代へ』、『死を前にした人間』、『図説 死の文化史―ひとは死をどのように生きたか』を参照。