リーダー文化と脱領域性

何でもかんでもリーダー本を出すってのが英米(他の国については知らないが)で、何か新しい研究領域や研究対象が盛り上がるとすぐにリーダーが出る。しかも複数。視覚文化論なんて何冊出ているか。リーダーってのは、いわばショーケースというか、サムネイル集というか、「論文DJ」というか、つまりその研究領域に関する見取図を提供してくれる訳で、この分野ではこういう論文が重要視されているのかということが分かるし、論文を探す手間も省けるので重宝している。
こうしたリーダー文化というのは、僕の知っている限りでは、アメリカの大学の慣習自体に発するものだと思う。向こうの大学の講義やゼミというのは、例えばこの間紹介したミッチェルの風景ゼミのシラバスLandscape Seminer)や、僕が実際に受けたスミスさんの近代日本物質文化ゼミのシラバスMaterial Culture in the History of Modern Japan)を見れば分かるように、大体一回目の授業で各授業の前に読んでおくべき文献が細かく指示されている(作るの大変だろうな。でも、一度、院の講義とかでこういうの作ってみようかな。でも学生が読んでこないかな・・・)。これがクラスによっては、特に院のゼミとかだと、一回の授業のために本一冊とか論文五本というように大量で、随分苦労した。ネイティヴにとってもしんどいらしい。でも特にゼミなどの場合は、読んでいかないとディスカッションに参加できない訳ですっごく淋しい思いをするので、斜め読みでもいいから目を通していった。
で、そういう文献をどうやって手に入れるかというと、シェルフでのリザーヴという制度があって、図書館に大体○○先生のシェルフというのが並んでいる。授業で指示された本やコピーがそこには入っている。そこの本は禁帯出(だから確実に見ることが出来る)で、学生はそこに行ってアサインされた論文をコピーして読むという訳だ。で、なかには親切な先生がいて、全部自身でコピーして、それを大学の近所のコピー屋さんに製本させて実費で売らせる人もいる。コピー・パックと呼ばれる。こんなりゃ、一種のお手製リーダーだ(「アフリカ系アメリカ音楽」という講義のコピー・パックは今でも宝物)。というか出版社から出されるリーダーというモノ自体が、こういう制度を出版界が取り入れたものなのかもしれない(アンソロジストという職業が存在することを考えると、大学内部だけの問題じゃないかも知れない)。日本でリーダーがあまり出ないのは、著作権の問題やいろいろあるだろうけど、講義の制度自体が違うことに起因するのかも知れない。
閑話休題。コンパクトにまとまって、街頭の分野を把握するのに楽な一方で、リーダーは、ある分野を「こういうものだ」と定義してしまう訳で、編者によって偏りも出てくる。読んでいても、何でこの論文入ってないの?と思うことは多々あるし。想像するに、カルチュラル・スタディーズにせよ視覚文化論にせよ、物質文化論にせよ、そういう脱領域的な試みが出てきてしばらくするとリーダーが編まれる。すると英米の各地の大学でそのリーダーを使った「Introduction to ○○」というような講義が3回生辺りを対象に開かれる(そりゃあ自分で文献を選んでシラバスを書くよりは楽だろう)というような状況なのだろう。そのうち、ウケたものは専攻なり学科なりに編成されていくのだろうし、本来は脱領域(interdicipline)性を目指したものが「研究領域」として公認されて、既存の体制に組み込まれてしまうということもあると思う。「脱領域的領域」という矛盾を含んだものなのかな。おそらく全国各地の大学で、昨今出来ている「文化」「環境」「社会」「メディア」「国際」「人間」などを冠したさまざまな新学部の問題はここにあるのだろう。参加していないので、僕自身は何にも言えないが、この間開かれた「表象文化論学会」に対するブログやmixiで挙げられた意見(いくつかはb:id:morohiro_s:t:表象文化論学会にブックマークしているのでご参照の程)を見ると、「脱領域性と学会」や「旧制度との距離」といった問題が垣間見えるような気がする。
また話がずれたので、軌道修正。さっきリーダーをDJに喩えたが、僕たちがDJを聴きに行くときは、それぞれの曲を聴くだけじゃなく、だいたいどういう選曲をしているのか、どう繋ぐのか、既存の曲をつなぎ合わすことでどのようなストーリーを紡ぎ出そうとしているのかを聴いて楽しんでいるみたいに、リーダーを楽しむことも出来る。こういう論文を採録しているのか、古典中心か、新作中心か。どういうふうに章立てを組んでいるのか、それにどういう解説を付けているのかという風に。そう考えるとリーダーとはメタ言説であり、一種の表象として読むことも出来るのだ。
という訳で、僕などはリーダーが大好きで、アマゾンとかで見つけると思わず手が出てしまう。リーダーのコレクター。コレクションのコレクションという入れ子状態。でもそれが結構溜まってくると、届いて目次を読んで、「な〜るほど」とか言って、序文を斜め読みして、本棚にgoってな状態になっていて、これじゃイカンというので、時間に余裕があり、早起き生活に慣れてきた昨今、ブログを利用してまとめている訳である。