Family Affair

スライに対してコメント欄で盛り上がったので、もう一発。コメントでも話題になっていた「ファミリー・アフェア」。これは昨日のよりずっと訳しにくい→http://www.hotlyrics.net/lyrics/S/Sly__amp__The_Family_Stone/Family_Affair.html


「家族の問題」(1971)

家族の問題、それは家族の問題。
家族の問題、それは家族の問題。


ある子は、大きくなって
学ぶことが好きな人間になろうとする。
他の子は、大きくなって
殺したくなるような人間になろうとする。


どっちの子も母親は愛している。
それは血の話。
どっちの子も母親にやさしい。
「血は水よりも濃し」と謂うように。


家族の問題、それは家族の問題。
家族の問題、それは家族の問題。


新婚から一年経って、
でもお互いを監視し続けている。
誰だって失敗したくないし、
誰だって家出したくはない。
心がそこにある限り、出て行くことは出来ない。
でも残ることも出来ない。君は何処かに行ってたから。
泣くことなんて出来ない。家族が駄目になるのを目の当たりにするだろうから。
それでも結局は泣くしかない。全てが駄目になってしまっているから。


家族の問題、それは家族の問題。
家族の問題、それは家族の問題。

細かいところは間違っているかもしれないけど、大意はこんなものだろう。
希望に溢れた"Everyday People"から一年半で、なんでこんなダウナーを作ったのか。確かこれは自宅録音だったと思うけど、音も模糊模糊していて、曲は一回聴いたら忘れられないキャッチーさは持っているのだが、なんとも陰鬱な雰囲気を醸し出している。
こんな曲が出来た理由としては、大体、ドラッグにはまっていったスライの個人的事情に求められるか、あるいは社会的な問題--公民権運動から広範な「民衆の力」の敗北--に求められることが常だが、なんか他の説明は出来ないかなと考えている。
社会的な問題と云ったが、これは68年のフランスにおける五月革命の失敗(結局は大統領権限が強められる)、ウッドストックやサマー・オヴ・ラヴの盛り上がりとそれに続く幻想の崩壊、日本における新左翼運動の破綻など、同時多発的に世界各地で起こった反動化の結果であり、「ブラック・パワー」としては、公民権運動の達成と敗北(結局は権力に絡め取られる)やネーション・オヴ・イスラームやブラック・パンサーなどの過激化という動きのことであり、これが反映されているのは確かだろうけど、でももう少し別の考え方はできないだろうかなと思ってるけど、うまく思いつかない。多分、「自宅録音」(とリズム・ボックスの使用)の問題や、「運動の挫折と個への内化」という言説自体を検証しなきゃいけないような気はしてるけど(マーヴィン・ゲイの社会的な"What's Goin' On"から個人的/身体的な"Let's Get It On"の問題も)。スガ(糸+圭)秀美編『1968 (知の攻略 思想読本)』が手許にあるので、再読してみよう。ヒントがあるかも。


ちなみに英語では、「血は泥よりも濃し」なんだね。はじめて知った。

暴動

暴動

こっちのジャケットがオリジナルだったっけ。