沼沢眩暈

中塚智+呉鴻「沼沢眩暈」展ニュートロン・ギャラリーに行って、作家二人(二人とも精華の院生)としばらく話す。

床に置かれた白い板のそちこちには、シャーレが置かれ、ときどき光を放ち、溶液の中にたゆたうぎりぎり判別可能なイメージを浮かび上がらせる(これが中塚の作品)。呉によるさまざまな映像のプロジェクションがそれらを覆い尽くす。シャーレが自ら発光する時は、中塚のイメージは呉の映像に拮抗し、光が消えると呉のイメージの奥に沈んでいく。
下の「うつす」のエントリにしても、昨日のトマソンにしても、何か幽かなイメージの問題にやけに出逢う日々である。