「発明王エジソン展」

京都文化博物館での「エジソン展」、最終日に駆け込み。子供だらけだったけど、なかなかおもしろかった。エジソンにかんするエピソードとかが書かれたパネルはとりあえずスルーして、ネタ蒐集。さまざまなフォノグラフや、フォノグラフの広告。また、電球、電話からさまざまな家電製品まで「機械の王国」って感じでクール。「ミメオグラフ(模倣記述機)」(要するに謄写版印刷機ってネーミングも相当気に入った。そりゃ、機械好きのガキにはたまらんだろう。
投射式キネトスコープと称して、要するにシネマトグラフリュミエールをぬけぬけと作ってたり、思いっきりグラモフォン型の蓄音機を作ってたり、「発明王」伝説に似つかわしくないパクリっぷりも垣間見え、面白い(さすがにそうとは書いていなかったが)。この図太さ、自分が写真の発明者と見なされなかったことをあんだけ糾弾しながら、結局はぬけぬけとダゲレオタイプやカロタイプを使っていたイポリット・バヤールに通じるものもあるな。
まあ、子供(というか子供を教育目的で連れてくる啓蒙的な親)に訴えなけりゃいけないだろうから、「努力と天才」という言説にまみれていしまうのはいたしかたないのかもしれないけど、でも、上の例でも分かるようにパクリっぽいこともなんぼでもやってるわけだし、もうそろそろ「努力した天才」すなわち「自律的な個人」としてエジソンを扱うのではなく、さまざまな技術や言説の交点の一つとしてエジソンを扱うことはできないものか。無理か。