Kunstgewerbeと工芸

昨日は、工芸関係のシンポジウムに行くために大阪へ。その前に、行っていなかった国際美のジグマー・ポルケ展に行こうと思ったけど、福島の駅から中之島と逆に進んでしまい迷ってしまって時間がなくなる……。で、あきらめて、シンポへ。

池田さんの発表で気になったこと。1870年代に、ロンドン万博の衝撃と国内の勧業政策とがあいまって、ドイツで「Kunstgewerbe」(Gewerbe=工業からの分離)という言葉が広まり、Kunstgewerbemuseumや学校が作られていく。その過程を追った発表だったのだが、そうした博物館ができるプロセスのなかで、もともとは原料や工作機械なども展示していたのが、それらが徐々に排除され、「制作物/作品」中心の展示になっていくというところが興味深かった。
興味を持ったというのも、民芸館でも工芸系の美術館展示においても、展示されているモノは、明らかに芸術における「作品」概念に嵌るようなかたちで現在はあるのだけど、そうした工芸の「作品」概念がいつ誕生したのかが気になっていたから。もしかしたら「Kunstgewerbe」という言葉のなかに、すでに作品概念が含まれていたのかとも考えて、池田さんに聞いてみたが、1870年代は、まだ「雛型の展示」という意味合いが強かったため、どうやらそうした作品概念が出てくるのはもう少し遅く、20世紀初頭らしい。工芸博物館が出来てから、工芸史のなかに美術史における様式史(そりゃ様式史概念は、美術史よりも工芸史に親縁性が高かろう)の概念が入ってくることなども関係あるのだろうか。
もう一つ、有名な話だが、1873年のウィーン万博の出品規定に出てくる「Kunstgewerbe」の訳語として日本語の「美術」という言葉は作られる(北澤憲昭『眼の神殿―「美術」受容史ノート』参照)わけで、ということは、ドイツ語圏における「Kunstgewebe」の概念が、日本における「美術」概念の成立に大なり小なり関わっているとも考えられ、その辺りも面白い。
またKunstgewerbeを「美術工芸」と訳していいものか、「産業芸術」の方が良いのではないかといった意見も出されていた。
他には、田所氏の発表も、最近、講義で日本における美術・工芸学校の成立について調べたところだけに、興味深かった。