「鞍馬電車」と叡電
翻訳家、高遠弘美さんのブログで、このところ軽井沢論(『水声通信 (No.9(2006年7月号)) 特集 軽井沢という記号』(特集:軽井沢)に掲載されたものらしい。早速三月書房に探しに行こう)が書かれていて、リゾート論として、非常に面白いのだが、そのなかで草津〜軽井沢を結ぶ軽便鉄道(軽便鉄道 - Wikipedia)の話題と絡めて「鞍馬電車」ということばが出てきた(http://romitak.exblog.jp/3350551/)。おそらく、叡電の鞍馬線のことで、僕が普段通勤に使っているもののことだろう。
確かに、叡電には「現代とは違ふ空気と時間が流れ」ている様な気がする。駅に切符を売っていないので、最近まで車掌さんが乗っていて、切符を売りに来ていた(今は整理券式だけど→整理券 - 蒼猴軒日録)し、一両編成(編成してないだろ)のも多いし、なんか「鉄道」という感じではなくて、まさに「軽便」な感じがいい。そういえば、以前、乗っていた修学旅行生に「バスかよ!」って突っ込まれてたけど、「ワンマン・カー」を誇らしげに謳っているあたり、あながち間違いともいえない(均一運賃 - 蒼猴軒日録)。
しかし、「鞍馬電車」という言葉は聞いたことがなかった。確かにそういう愛称もあるらしい。
ついでに叡電の歴史を見てみると結構面白い(Wikipediaの鉄道関係のエントリはすっごく詳しい)。正式名称は「叡山電鉄」(叡山電鉄 - Wikipedia)。以前は嵐電とともに、京福電鉄(京福電気鉄道 - Wikipedia)の一部であったが、出町柳〜三条京阪を繋ぐ京阪鴨東線(京阪鴨東線 - Wikipedia)の開業で、1986年から京阪の子会社として京福から独立した(このことは意外と知られていない)。
遡れば、京都電燈という会社が1925年に叡山線を開業したのがはじめだという(叡山電鉄叡山本線 - Wikipedia)。続いて、鞍馬線(叡山電鉄鞍馬線 - Wikipedia)が28〜29年に開業する。随分、古い。
1925年頃といえば、メインの鉄道網はすでに日本を覆い尽くし、また一方で『日本風景論』〜登山ブームなどからはじまる自然観光というのがすっかり浸透し、「リゾート」の概念が広まってきていた頃である。そんな時勢に叡電が開業したというのは、比叡山、鞍馬寺という霊地/名勝が、一種の「リゾート」地に変化していたという証左ではあるまいか。
ちなみに、叡電の行き着く先は、それぞれケーブル・カー(鞍馬山鋼索鉄道 - Wikipedia/京福電気鉄道鋼索線 - Wikipedia)に接続するのだが(山の電車だなぁ)、ケーブル・カーの日本名は、「鋼索鉄道」というらしい。直訳なんだろうけど、なんか格好いい。インダストリアルでヘヴィ・メタルである。
叡電関係リンク
- 公式サイト:http://www.keihannet.ne.jp/eiden/
- いつか「叡電サブレ」買おうと思っているんだが、まだ果たしていない(http://www.keihannet.ne.jp/eiden/eidenfan/guzzu/guzzu.html)。
- 「きらら号」(叡山電鉄900系電車 - Wikipedia)が叡電の売りだけど、これに夏の朝とかに乗ってしまうと、暑くって仕方がない。
- 昔の叡電。懐かしい>http://dmh17.web.infoseek.co.jp/eiden.htm
- ここも詳しい>http://www.yahashi.com/EIDEN/EIDEN.HTM