動物園写真

後期の講義や集中講義で、展示ネタの一環として動物園を扱おうと思っているので、資料集め。


The Animals

The Animals

まずはこの一冊。見られる動物、見る人間、さらにそれを見る写真家と入れ子状の視線の関係性そのものを表象する。ポケットにエビフライ - はてなStereo Diaryhttp://d.hatena.ne.jp/mika_kobayashi/20041113でも言及あり。


日本ものの写真集も二冊、取り寄せてみた。

旭山動物園写真集 (DVD-VIDEO(1枚)付)

旭山動物園写真集 (DVD-VIDEO(1枚)付)

天王寺動物園

天王寺動物園


残念ながら、両者ともウィノグランドのような「動物園写真」ではなく、「動物写真」だった。すなわち「展示」されている動物のカタログに近い。カタログといっても、もちろん博物学的にある動物の種=タイプを表すものではなく、生態学的な写真(あるいは動物が固有名を持っていることから言うと、一種の肖像写真か)に近いんだけど、その動物を囲っているはずの檻や柵がほとんど排除され、あたかも「自然」のなかにいるように写されている。当然、観客も登場しない。美術展の図録のほとんどが、額縁や軸装を写さないのと似ている。もちろん、動物園自体のプロモーションとしては、動物たちが「自然」に表象される方がいいに決まっているから、当然といえば、当然か(このネタ、もう少しふくらませそう)。
ただ、とくに展示の仕方(「行動展示」)で話題になっている旭山動物園の方には期待していたんだけど、あまり動物園の構造自体を対象としている感じではなかった(旭山関係は、他にもいろいろ出ているみたいだから、比較してみるのも面白いかも)。
とはいえ、両者には結構な違いもある。アラタ・ヒロキという写真家による天王寺動物園の動物が、いわゆる巧い写真で、「活き活き」と捉えられているのに対し、最近メディアでもよく名前を聞く藤代冥砂による旭山動物園の動物は、まるでNY自然史博物館の剥製達のように、生気を喪い、まるで標本のように表象されている(全てがという訳ではないが)。有名なアザラシの泳ぎが見られるアクリル・チューブ展示なんかは、まるでホルマリン漬けのアザラシのようにしか見えない。どういう意図で、そのように表象したのかはもう少し考えてみないと。


ちなみに展示装置としての動物園を考える参考文献。


現在、取り寄せ中の書籍、図録

いずれは、植物園から水族館まで広げないといけないし、さらに動物写真全体も考えたいけど、とりあえずは動物園限定で。


とは言いながら、思いだした植物園ネタも1本。温室と万博とエキゾティシズムと。

  • 吉田典子「ガラスのユートピア−19世紀パリにおける温室とその表象」(上/下)『月刊百科』第393/395号、平凡社、1995年