世界システムとしての「近代芸術」

今度、「日本近代美術史」というものを講じる時、ウォーラステインの「近代世界システム論」をもう少し突っ込んで触れようかなと考えている。近代ヨーロッパにおいて成立した「美=芸術制度」を、一種の文化的な世界システム(イタリア→フランス→アメリカとそのヘゲモニーの中心は移り変わる)として捉え、その周辺部におけるシステム同士の抗争の場として、「日本近代美術史」を把握すること。
芸術の近代世界システムの代表としての「洋画」と、そのリアクションとしての「日本画」など(これはインド近代美術史や、タイ近代美術史などとの比較のなかで出てくるだろう)。さらにいえば、戦前にさまざまな留学生が東アジアの諸地域から日本に来て、「近代芸術」を学んで国に帰ってきたことを考えると、日本というのが芸術システムの一種の前線基地のようなものになっていたと考えて見ること。
さらには江戸の美術史に関しても、中国の芸術システムのヘゲモニー狩野派というかたちと「文人」という新しいシステム)と、それに対するリアクションとしての「やまと」なるもの、さらに、遠近法などを介して、そこに徐々に侵入してくる西洋の近代芸術世界システムの抗争の場として捉えることも可能だろう。
このように捉えることによって、一国史的、自律的な美術史の捉え方を突き崩すことが出来るかと。でも、危険なのは、こういう言説がヨーロッパ中心主義的なものとして捉えられないように注意して喋ること。
以上、メモのようなもの。まだまだまとまっていないし、世界システム論がどのように文化のレヴェルにおいて援用可能なのかも、きちんと押さえておかなければ。