民俗学ビフォー

みうらじゅんみんなのちんぱい―みうらじゅん「宝島」ほぼ全仕事』に面白い言明が。

告白するけど、オレのやってることは全部、民俗学なんだ。柳田國男とか、そーゆーの。
でも、全く気付かれていないのは民俗学ビフォーだから。後、五十年は寝かせておかないとネタにイイ味が出てこないわけ。ハッキリ言ってその時は死んでるよオレ。
民俗学ビフォーは、どんな時代にも世間は冷たいわけよ。要するに「バカみたい」と呼ばれることの全ては単にビフォーだからだ。

なるほどね。やっぱり意識してるんのか、民俗学を。
ただ、ここでは「時間」の問題、民俗になるには「早すぎる」という言い方なんだろうが、みうらの面白さは、それだけじゃないような気がする。
こないだ、DVD『ザ・スライドショー9&9.5 [DVD]』を見ていたら、鳥取あたりの「つくりもの」が出ていた。木下直之さんなどが、「美術」以前のもの、「作品」の外縁に位置するものとして、最近注目しているもので、陶器の皿や、果物で人形などを作る一種のブリコラージュである。で、ツッコミ担当のいとうせいこうが、その由来を聞きたがるんだけど、みうらは「知らない」と切り捨てる。「興味ないもん」と。
みうらは、ひたすらカメラを手に「集める」。それに名前、すなわちカテゴリーを与える――「ムカエマ」とか、「とんまつり」とか、「カスハガ」とか、「いやげもの」とか。で、そこまで。解釈がすっぽり抜け落ちる。「カテゴリー」で括ることが重要で、それが何故そのようなかたちをしているのかには興味がないということだろう。カテゴリーを通して見たら、見落としていたものたちが、何か異形のものとして立ち現れていく。その瞬間を楽しめと言うのだろう。
「解釈」はいらない。そこが「ビフォー」なのかな、と思ったりもした(と考えると、考現学こそが、「民俗学ビフォー」だったのかもしれない)


ザ・スライドショー9&9.5 [DVD] みんなのちんぱい―みうらじゅん「宝島」ほぼ全仕事s