「消失する交点」展

仕事の打ち合わせのあと、みんなを連れて顔を出す。
版画の中塚君と映像の呉君は、すでにコラボレーションで展覧会をやっている沼沢眩暈 - 蒼猴軒日録が、今回はそこに立体造形の児玉君が加わっての三人の展覧会。
でも、グループ展というかたちは採らず、「児玉真人、中塚智、呉鴻」による「個展」としたかったという。といって、三人でひとつの作品を作るというかたちを採るのではなく、二人ずつが、順列組み合わせみたいに組んで作品をつくり、それを最終的にインスタレーションのかたちで構成するという戦略で来た。児玉×中塚、児玉×呉、呉×中塚、中塚×呉の4点。
見た目も非常にすっきりとしている。ギャラリーを埋め尽くすのではなく、ゆったりと余白をとって、4つの作品が点在する。光に照らされた多角形のアクリル板が揺れ、水中を通った赤色レーザー光が部屋を貫く。壁に掛けられた静止画/動画もほとんど色がなく、部屋に長年設えられたインテリア(良い意味でね)のように、空間を構成している。
確かにどこからどこまでが、どっちが作ってといったことが分からないほど、溶け合っていた。以前から作品をコントロールする「作家」という存在への疑問を口にしていただけに、その点では成功だと思う。
ただ、贅沢をいえば、作家という主体を否定した後に、そのなかからどうしようもなく浮かび上がってくる児玉、中塚、呉というそれぞれの痕跡のようなものを見てみたいような気がする。「作家」という全能者ではなく、「もの」としての人間の痕跡というのか。でも、それは次の段階かな。
以上、雑駁な感想まで。あっ、写真を撮るのを忘れた。誰か見てたら、展示景送って下さい。