懸賞

以前から近代日本の文化における「懸賞」というものに興味を持っていた。

  1. まずはじめは、日本の芸術写真について調べていた時、近代のアマチュア写真界が形成される時(20世紀初頭)に、三越や雑誌『太陽』の懸賞写真が果たした役割の大きさに気付いたというのが一つ。
  2. そして、去年、ドクターの学生と話をしていて、植民地時代の朝鮮で、新聞マンガの懸賞が行われていて、そこからプロになるというコースがあったという話を聞いたこと。
  3. さらに、最近、姫路市美での「大正レトロ/昭和モダン:ポスター展――印刷と広告の文化史」を見に行ってポスター展 - 蒼猴軒日録参照)三越などの広告ポスターが懸賞で原画を募集して、それを三越の機関誌の表紙に載せ、さらにそれを多色刷りの豪華なポスターにしていたという話を再確認したということ。

どうやらプロ(ないしはアマチュアのスター)をトップとして、初心者などを底辺とする大きなヒエラルキーの三角形を描く日本の様々な「○○界」や「○○壇」――写真、水彩画、日本画、書道、茶の湯、華道、俳句などなどなど(麻雀、釣り、ゴルフまで広げても面白いかも)――を考える時に、企業やマスメディアのよる「懸賞」がどうも重要なんじゃないかと思って調べようかと思っていた矢先、以下の本を見付けた。

投機としての文学―活字・懸賞・メディア

投機としての文学―活字・懸賞・メディア

「懸賞小説の時代」という章で、大正期の雑誌における懸賞小説募集をてがかりに、出版資本と「文学」の関係を考察しながら、近代文学史を外堀から考え直すというもの。これは参考になる。
紅野氏は、『書物の近代―メディアの文学史 (ちくま学芸文庫)』でも、シャルチエや前田愛を引き継ぐかたちで、「もの/商品」としての文学を問うている。サイトはこちら→紅野謙介ホームページ


この辺りのメディアと文化の問題と関係することに、雑誌の投稿欄というのがある。大正期の少女雑誌の投稿欄を分析し、「少女」という「創造の共同体」の構築を論じた川村邦光オトメの祈り―近代女性イメージの誕生』が基本書だけど、最近、もう少し後の時代まで追った今田絵里花『「少女」の社会史 (双書ジェンダー分析)』というのが出たらしく読書継続中・『「少女」の社会史』 - Words and Phrases経由で知る)、注文した。