かつての断面

morohiro_s2007-07-27

御池通沿いの旧家。入り口は、大通りである御池側ではなく、狭い縦の通にある。何故かなと余り気にも留めないでいたが、こないだ母に聞いて、「あ、そうか」と膝を打つ。


御池通というのは、戦時中に防火のための強制疎開を行って、それがもとで現在の広さになったもの。このことは知っていた。母の記憶によれば、それまでは、たとえば姉小路押小路よりも狭い、たとえば錦小路くらいの広さだったという。つまり無茶苦茶狭い。それを強引に広げたのだけど、その時、南側だけ取り壊した。普通の町家で5、6軒分は取り壊されたとか。だから御池と姉小路の間は、普通の縦の1ブロックの半分くらいの長さである。
で、この家の北までの家が取り壊されたと。だから、これも断面である。ただ、あまりに綺麗にされているので、気付かなかったという訳。


ちなみに、「戦時中」と書いたが、これは当然15年戦争というか、アジア=太平洋戦争のこと。京都人にとっての「先の戦争」は、蛤御門の変のことを言うとか、ひどいのになると応仁の乱のことを言うとかいう伝説があるけど、それはあくまでも伝説だからね。そんなこと本気で言ってたら、学校でなにを習ってきたんだって言わなきゃ。京都の人間にとっても、「先の戦争」は、普通、太平洋戦争です朝鮮戦争ヴェトナム戦争の場合はあったとしても)。上記のような答えをする人に会ったら、それは「京都人」を演じている人だと見るのが妥当でしょう(「京都人の京都人化」ってやつ→自らを演ずる - 蒼猴軒日録参照)