隣村の歌

今日、iPodで、相も変わらずチャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズの《ウィ・ニード・サム・マネー》を聞いていた(このビートは、通勤途上にあうんです)
で、「マスター・カード、ヴィザ、アメリカン・エクスプレス/儂にゃクレジット・カードなんか要らへん。やっぱり、現ナマですがな」という下りを聞いていて、これってやっぱりラップやな、と改めて思った訳。


でも、それは単純にワシントンのゴー=ゴーが、ニューヨークのヒップ・ホップを取り入れたっていう風な単純な構造ではないはず。たとえば、ゴー=ゴーのトラブル・ファンクの《パンプ・ミー・アップ》の歌パートは、完全にオールド・スクール・ラップで、そしてそのブレークをネタとして、グランドマスター・フラッシュ(メリー・メル名義やったかな)が《パンプ・ミー・アップ》をやってしまうというような往還関係。


考えたら、ヒップ・ホップとゴー=ゴーは同じ時期(1980年前後)。高校生の頃、『ポパイ』か『ホットドック・プレス』かなんかで、「ニューヨークのヒップ・ホップ、ワシントンDCのゴー=ゴー、シカゴのハウス」という風に、アメリカでは地域的な新しいダンス・ミュージックが出てきているって記事を読んだことも思い出す。確か、その記事には列記されていなかったと思うけど、「デトロイトのテクノ」も、同じように地域的なダンス・ミュージックであった訳で、ヒップ・ホップ、ハウス、テクノが世界を席捲している今日からしたら考えられないような状況である。それらが世界的になっている今も面白いけど、それらが地域的だった時代って、よく考えたら、面白いなって思う。いわば、それぞれの村にそれぞれの音楽があるって状況。
我が愛するゴー=ゴーが、その中で世界的には飛翔しなかったというのは、ちょい寂しいけど、考えたら、ゴー=ゴーの3連8分のハネるビートっていうのは、アメリカではニュー・ジャック・スウィングを通して、今でいう「R&B」のひとつのパターンとなっているし、イギリスでは、グラウンド・ビートを経由して、いろんなダンス・ミュージックに影を落としているってことを考えたら、ゴー=ゴーだけが出遅れたってこともしれないのかも。


閑話休題。さっきのトラブル・ファンクとグランドマスター・フラッシュの「往還関係」の話に戻ると、あれはいわば隣村同士で、「あの村では、こんな曲が流行ってるらしいで。ちょい貰おうか」みたいな感じでの関係だったのかなと思った訳である。ただ、それがレコードという複製技術によって媒介されただけで(録音された音をそのまま使ってしまうヒップ・ホップの場合、その「だけで」が凄いことなんだけど)


以上で言及した3曲、Chuck Brown & the Soul Searchers, "We Need Some Money"/ Trouble Funk, "Pump me Up"/ Grandmaster Flash & the Furious Five, "Pump Me Up"は、以下のアルバムなどに収録されている。
Best of Chuck BrownE Flat BoogieGreatest Hits


とりあえずの試聴は、iTMSでもできる。残念ながら、キモとなる部分は聴けないが。