御車通

morohiro_s2009-11-06

京都府立医大病院の北口から今出川手前までの御車(みくるま)通。短い道だが、古い屋敷修道院などに転用されている)や煉瓦塀などが立ち並び、さまざまな痕跡が濃縮されたように存在するという、京都のなかでも好きな場所のひとつである。



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河原町と鴨川に挟まれた狭い短い道。もしかすると荒神口まで続いていたのが、医大によって分断されたのかもしれないが。←古地図と現代地図を対照させた本(『京都時代MAP 幕末・維新編 (Time trip map)』)で確認したら違った。医大と病院のところは、まるまる日光宮の里坊で、御車通はその上の梶井宮邸と現存しない天満宮の間を通っていた一丁だけの道らしい。ということは、聖トマス学院の門は梶井宮のものか? ちなみにその上には伏見宮邸が続く。その中を切り開いて道を造り延伸したのが、現在の御車通のようだ。


昭和の名工と呼ばれた棟梁、北村捨次郎が建て、吉田五十八が増築を手がけた「四君子苑」こと北村謹次郎邸(捨次郎さんとは関係がないらしい。ややこしい)もこの道沿いにある。隣には彼のコレクションを展示している北村美術館も。


この通り界隈で撮った写真のスライド・ショー。お暇でしたらどうぞ→Search: mikuruma | Flickr