さくら井屋
三条通を通ったら、さくら井屋が閉店していた。1月15日に閉めたらしい。その後、通ったこともあるはずだが、気付かなかった。理由は手刷木版の職人の数が少なくなったこととか。
さくら井屋は、もともと版元で、天保期の創業。はじめは堀川かどこかにあったのが、今の新京極の「たらたら」(坂のこと→新京極通 - Wikipedia)手前に移ったとか。大正期に小林かいちの絵封筒を出していたことで話題になることが最近は多い。母の若い頃には、さくら井屋の封筒や便箋は憧れであったとか。
織田作之助の小説にも出てくる→織田作之助 青春の逆説。
どこへ行くつもりなのかと立止ると、赤井は豹一をひっ張って、「此処を通ろう」とわざわざ三条通の入口からさくら井屋のなかへはいり、狭い店の中で封筒や便箋を買っている修学旅行の女学生の群をおしのけて、京極の方の入口へ通り抜けてしまった。豹一があっけに取られていると、赤井は、
「これが僕の楽みだ。ちっぽけな青春だよ」と、赧い顔をして言ったが、急にリーダーの訳読でもするような口調になって、
「さくら井屋には旅情が漲っている。あそこには故郷の匂いがある。なあ、そうだろう?」と言った。豹一は赤井も気障なことをいう奴だと思ったので、返事をしなかった。すると赤井は何か思いついたらしく、
「実は此の間僕の妹も修学旅行に京都へ来たんだよ。ところが、妹の奴さくら井屋の封筒が買えなくなったといって、泣き出しゃがるんだ」
新京極商店街のサイトで、写真を見つけた。
- http://www.shinkyogoku.or.jp/shoukai/rekishi_7.htmは明治期の写真。右手がさくら井屋。
- http://www.shinkyogoku.or.jp/shoukai/rekishi_8.htmは、1972年の写真。左手に「井」と「屋」の字の提灯が見える。
ボクが子どもの頃には、どっちかというと土産物屋みたいな店構えになっていた。でも、最近でも奥に入ると、木版の絵封筒とかがあった。商店街のサイトには、まださくら井屋の紹介が残っている→http://www.kyoto-sanjo.or.jp/shop/sakurai.html。でも公式サイトは閉じたようだ。
新京極は餓鬼の頃からよく行っていたし、また、一度、新京極の歴史を調べたことがあって、文章にまとめたことがある(「新京極の夜」、『diatxt.』11号、京都芸術センター、2003年11月、128-137)ので、ちょっと感慨深い。ただ、この時にはさくら井屋については書かなかったのだが。
ところで新京極の歴史は面白いですよ。以下のページにうまく纏められている。