アティテュード
「パンクとは、姿勢のことであり、音楽のスタイルのことではない〔Punk is an attitude, not a style of music.*1〕」というジョー・ストラマー*2の有名な言葉は、これまでほぼ、精神論(「パンクは生き様*3の問題」とかね)で語られてきたけど、これを読みかえることはできないかと考えている。すなわち、「パンク」とは、スタイル(様式)の問題ではなく、「もののやり方」--ブリコラージュ的戦術でも、「野生の思考」でも、日常的実践でも、日々の智恵でもいい--の問題ではないのか。こう言い換えてみようか。「パンクとは、手近なもので、なんとかやっていくための工夫のことであって、その結果、何ができるかの問題ではない」。
セレンディピティ
「些細なものから、見えないものを把握するための推論的パラダイム」。この話は、路上の写真家からはじまり、パースの記号論やフロイトの精神分析、美術史におけるモレッリ法、さらには「視覚的無意識」やシュルレアリスムにおけるオブジェ・トゥルヴェ、探偵小説、考現学、路上観察まで、どんどんどんどん広がっていく。きりがないけど、取り敢えず基本的な文献。
- 港千尋『予兆としての写真―映像原論』
- カルロ・ギンズブルグ『神話・寓意・徴候』
- 神戸芸術工科大学編『「ふと…(セレンディピティ)」の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)』
- ウンベルト・エーコ、T・A・シービオク編『三人の記号―デュパン,ホームズ,パース』
- T・A・シービオク、J・ユミカー=シービオク『シャーロック・ホームズの記号論―C.S.パースとホームズの比較研究 (同時代ライブラリー (209))』
- 富山太佳夫『シャーロック・ホームズの世紀末』
- 高山宏『殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)』
- 内田隆三『探偵小説の社会学』
とりあえず本棚から探し出さなきゃ。今週の写真論から、この話に入っていくので。でも、これが「偶然には見つからない」と来ている……。つくづくセレンディピティのないことに思い知らされる。