国際美学会議

世界各国の美学会の連合会議として、3年に一度行われる大会。前回、幕張で行われた東京コングレス(http://wwwsoc.nii.ac.jp/bigaku/2001/icahp/home.html)が欧米以外ではじめて行われたもので、それに続いて南米で。僕も前回から連続参加。ちなみに次回は、トルコのアンカラである。
しかし大雑把なオーガナイゼーションだった。ウェブサイト(http://www.kmbeventos.com.br/XVICongressoInternacionaldeEstetica/)が、まだ原稿募集の状態で止まっているのを見れば分かるように。イヴェント会社に丸投げの状態で、ブラジル美学会が何をしていたのかよく分からない。なにしろ(僕はまだ着いていなかったけれど)、開会の辞を述べるはずの人が会場に見あたらないというドッチラケで幕を開けたらしい。「東京は本当にウェル・オーガナイズドだった。それに比べて今回はカオス・・・」との声を何人かから聞いた。分科会をやっている教室と教室が途轍もなく離れていて、ため息をつきながら早足で歩いている人々を多く見た。でも、大きなトラブルもなく何とか終わったんだから、これでもいいかっていう感じ。
しかし日本からの研究者が多かった。ブラジルの113人は開催国だから別として、近いアメリカ合州国の25人につぐ22人が参加。地球の裏側なのに。これには、歴史的に「美学」というディシプリンが単独の学科/専攻として成立してきたという特殊事情がある。アメリカでは美学科というのはなく、哲学科に属していたし、御本家のドイツからしてそうだという。日本では、『吾輩では猫である』に美学者(寒月だったっけ)が登場することから分かるように、早くから「美学」が独立したディシプリンとして成立していたのである。また、日本の美学会が、いわゆる純粋な美学者だけでなく、美術史研究者も参加している(関西に限るが)という特殊性もある。とにかく、観光客の全くいないコパカバーナの浜辺を酔っぱらった日本人学者たちが歩いている光景は相当変なものだったと思う。観光客っぽくはないし、といってかたぎのビジネスマンにも見えない。何と思われていたのだろう。
発表としては、正統派の美学や「芸術」についての枠組みを問うようなもの、あるいは現代アートに関するものの他に、「日常生活における倫理学政治学、美学」という括り(僕の遺影写真論も含めて)に含まれるものが目立ったような気がする。というか僕がそういうのばっかり聴きにいっていただけかも。
せっかくブラジルに行ったんだから、もっとボサ・ノヴァとかMPBとかを聞きたかったけれど、毎日学会に行っているので機会がなかった。でも最終日のフェアウェル・パーティ(これが主催者側の無責任さでひどいもんだったが)でいった店で出ていた若いバンドには吃驚した。ジャコばりのベースに、むっちゃタイトなドラムス。やっぱり層が厚いのか。