中島らもと小宮

中島らもが死んだらしい。結構きてしまう。
で、俺のツレの小宮匡(1967-2002)が死んだ時を思い出す。小宮も何時なんどきでもロマンティックな死にかたをしそうな生活をしていたけれど、意外とあっけなく事故で死んでしもうた。らもが階段から落ちたよう。ヒロイックではない。全く。格好良い奴ほどヒロイックではない死に方をする。江戸アケミもそうだった。

小宮について書いて、あまりにセンティメンタルなのでその翌朝消した文がある。でもらもと小宮を重ねて再掲する。

多少(結構)酒が入って、憂歌団を聞いていて思い出したこと(以下、関西弁で失礼)。
小宮匡という男がおって、早稲田の一年後輩で、佐賀の出身やった。うたうたいで、詩人で、中古文学研究者やった。そいつと一緒にバンドを組んどって、小宮は歌で、俺はベースを弾いとった*1。86年くらいのことやったと思う。バンド名は、小宮が決めた「ザ・パンクス」。相当恥ずかしい名前やし抵抗したら、「日本にもザ・モッズやらザ・ロッカーズやらあるやない」とか「正式名はスモーク・スタック・ライトニン*2・ブルーズ・パンクスや」と云われて、なし崩しにそうなってしもうた。
九州もんと関西のサルの共通して好きやったんは、ブルーズ・ロックやった。いうてもクラプトンみたいに、いぎたなくギター・ソロが長いやつやのうて、ちゃきちゃきしたドクター・フィールグッドやら、九州のサンハウスルースターズ、関西では憂歌団みたいなもんやった。それをごっちゃまぜにしたロックンロールをやっとった。カヴァーしとった曲は、ロバート・ジョンソン《カインド・ハーテッド・ウーマン・ブルーズ》、ジョン・リー・フッカー《ブン・ブン》、ロバート・ジョンソン/マジック・サム《スイート・ホーム・シカゴ》、ボ・ディドリー/ドクター・フィールグッド《アイ・キャン・テル》、サンハウス《盗っ人》など。
その頃、おれはドクター・ジョンの『ガンボ』にはまっとって、とくにそんなかの《スタッガリー(Stack-a-Lee)》がええなと小宮と喋っとったら、多少コード進行を変えたパクリ*3を作ってきよった。それが「かったりぃ」や。ビートは、ニュー・オーリンズ風やなくて、カントリー・ブルーズ風の四つ切るタイプ。

かったりぃ/けぇな町にゃ/もうおりとうはないよ/いつも邪魔にされて/つぶやくよブルーズ
かったりぃ/もうやめや/歌いとうはないよ/でも惚れたた女の/せがむのでブルーズ
いつも後ろ指/ほらきちがいのように/だれもが俺のこと/阿呆よ呼んでは嫌がる
けれど何時かみさらせ/そんな科白は吐けんし/今日も空見上げて/神頼みブルース
今日も酒食ろうて/泣き寝入りブルーズ

で、この歌を作った小宮はロマンティック過ぎたのか、一昨年死によった。よっぱろうて。
でも俺はまだ生きている。

*1:あと株本がドラム、山下がピアノ、ギターははじめは香月ポン。ギターはその後は定着せずに色々。執行とか、後にクール・スプーンを結成する深谷さんとか種茂とか

*2:ハウリン・ウルフの曲

*3:めんたいビートの基本ね。Train Kept a Rollin'→レモン・ティーとか