「写真嫌い」について

昨日一昨日と、大阪大学で行われた美術史学会全国大会(‘æ58‰ñ@”üpŽjŠw‰ï‘S‘‘å‰ï)に行ってきた。今回は珍しく近現代を扱ったものが多く、とくに林道郎氏によるセザンヌ論、平芳幸浩氏によるデュシャン/ジョーンズ論は刺激的なものであった。
また、ルネサンス美術研究者、若山映子氏による美術史における写真の「功罪」について問い直す発表を聞いて考えることが多かった。氏の論点は、特に大聖堂などの壁画、天井画を研究するときに、写真による複製図版を使用することの危険性を指摘するところにあった。まあ、これは至極当たり前のことであって、「写真の功罪」とタイトルに挙げられているにもかかわらず、発表も質疑応答も、氏の壁画研究自体のことに集中していた。「しかし」、と写真研究者としては考えてしまうわけだ。
美術史研究がディシプリンとして確立し、発展した19世紀後半において、写真を資料として用いることは、ごく普通のことであった。実際、美術史研究の重要な手法である「比較」という作業を行うにおいて、写真の使用は不可欠なものである。遠く離れた場所にある二つの作品を、それぞれの場所から引きはがし、美術史家のデスクの上(ヴァールブルクのムネモシュネーを思い出してみよう)に移動させるのは、写真術あってはじめて可能になるものである。これは、人類学や精神医学など、19世紀に発展した他の研究分野と変わらない。
その時、美術史家は、写真もまた表象であることを一旦忘却し、あたかも目の前にその二つの作品があるかのように、記述し、解釈するわけだ。写真を透明なメディアとして扱うのである。時に美術史家は、写真がもう一つの複製であることを思い出し、声高に「現場」の重要性を説く(しかし現場調査のアリバイとして、研究者自身が撮影した写真が使われたりもするのは皮肉である)。でも、研究者は、複製図版を利用して研究発表をし、図版入りの論文を執筆しなければならない。ここに一種の憎悪が生まれるのではないか。
写真という技術が美術史という学問の核にまで及んでいる以上、「写真」について考えることは、「美術史」そのものを問い直すことでもある。そんなことを考えた。