聖顔布

今日は、聖顔布に関する文献の復習。益田朋幸「愛する人の顔かたち--イコンの『美学』」(『描かれた時間』)=これは非常に面白い聖像論。ジュリア・クリステヴァ「真の似姿--聖なる顔」(『斬首の光景』)。
 聖ヴェロニカの伝説とは以下の通り。キリストがゴルゴダの丘に向かうとき、ある女性――ヴェロニカ――が差し出した布で、血と汗にまみれたその顔を拭った。その時、布にはキリストの像が遺されたという。これはヴェラ・イコン、すなわち「真のイコン」と呼ばれた。その伝説を描いたのが、上記の図。
 またマンディリオンと呼ばれる布もある。病を得たシリアの王がキリストを招いて治療を願ったけれど、キリストは行くことができなくて、傍らの布で自らの顔をぬぐった。すると、布にはキリストの顔が写ったという。王が、使者に託されたその布に接吻したところ、たちまち病は治癒したという。
 これらの「聖顔布」といわれるものは「アケイロポイエートス(アヒロピートス)」、すなわち「人の手に因らない」像として、最高の聖性を具えた肖像とされた。ギリシャやロシアなど東方教会で言うイコンとは、このアケイロポイエートスを正確に写し取ったものとされる。よってイコンとは神の「表象」ではなく、神の「現前」を書き込んだものであるという。
 すこし性格が違うのがトリノの聖骸布と呼ばれるもの。キリストの遺骸を包んだものと言われている。でも科学鑑定したら14世紀くらいのものだって。でもビリーヴァーは多くいて、最近もX51.orgで、「聖骸布は本物だ」とかいう記事があった。こんなサイト(http://www.shroud.com/)もある。聖骸布と聖顔布の違いは、要するに顔が写ったのが、死後か生前かということ。これらと写真の類似性(インデックス記号としてのイメージ)については、昨日挙げたバルトをはじめさまざまな人が言っているが、アンドレ・バザンの「写真映像の存在論」(『映像言語の問題(映画とは何かII)』美術出版社、1970年)がその走りだと思う。