聴覚文化リーダー
久しぶりに目次紹介をば。
Auditory Culture Reader (Sensory Formations Series)
- 作者: Michael Bull,Les Back
- 出版社/メーカー: Bloomsbury USA Academic
- 発売日: 2004/04/05
- メディア: ペーパーバック
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- マイケル・ブル、レス・バック「序:音へ」
- 1,音について考える
- マレー・シェーファー「開いた耳」
- リー・エリック・シュミット「聴覚の喪失」
- スティーヴン・コナー「あなたの良き手の助けを借りて:手拍子にかんする報告」
- ダグラス・カーン「音楽の音〔the Sound of Music〕」
- ポール・フィルマー「歌の時間:音文化、リズム、社会性」
- 2,音のさまざまな歴史
- 3,さまざまな音の人類学
- 4,都市における音
- フランク・トンキス「聴覚的絵葉書:音、記憶、都市」
- レス・バック「群衆の中の音」
- ジャン=ポール・ティボー「都市の音的構成」
- キャロリン・バセット「いくつの楽章?」
- マイケル・ブル「車のサウンドスケープ:自動車生活〔automobile habitation〕の批判的研究」
- 5,音楽と共に生き、共に考える
- 後書き:ヒレル・シュウォーツ「守りがたい耳:ある歴史」
昨日見つけたギルロイ論文が入っているリーダー。http://d.hatena.ne.jp/soulflower/20050929#p1で紹介されていて、買ったまま、本棚に放り込んでいたもの。
視覚文化という研究領域が出てきた時に、早晩こういうのは出てくるなとは思っていた。美術史→視覚文化研究という流れと同じように、音楽学→聴覚文化研究という流れが出てくるのは当然だろう。最近会った三人の「音楽を研究している」という院生たちも、楽器学、民謡研究、映画における音の研究と、「音楽学」というよりは、「聴覚文化研究」といった方が収まりよい感じがする。
こういう研究がはじまったのは、やはり第一部であげられているようなシェーファー以降のサウンドスケープ論や実践としてのサウンド・アートの興隆が大きいのだろう。さらに、第二部はアナール学派の流れを汲む社会史/感性の歴史、第三部は人類学、第四章は都市論、第五章はカルチュラル・スタディーズ/ポピュラー音楽研究とさまざまな源流が見て取れる。いわばサウンドスケープの考え方が、それらの研究領域を刺激した結果出てきた潮流なのかな。西洋近代における視覚中心主義をずらすという目標もあるだろう。
この手の本は、日本ではまだ少ないが、たびたび言及している増田聡氏(id:smasuda、http://homepage3.nifty.com/MASUDA/)や、元祖、細川周平氏(『レコードの美学』など)のほかに、小沼純一氏の『サウンド・エシックス―これからの「音楽文化論」入門 (平凡社新書)』などもある。
もちろんシェーファー関係(「マリー」と表記されることもあるが、Murrayなので、「マレー」の方が近いかな)は多い。とりあえずシェーファーの『世界の調律―サウンドスケープとはなにか (テオリア叢書)』。
ところで、昨日挙げたギルロイ論文「ブルーズとブルーズ・ダンス:黒い環大西洋におけるいくつかのサウンドスケープ」だけれど、ブルーズとはさして関係がなかった。斜め読みした結果、話題の中心は、彼がいう「ブラック・アトランティック」、すなわち大西洋を囲むアフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカにおける黒人移民文化におけるサウンドスケープの問題を、ジミ・ヘンドリックスが考えていたという「電気的な教会〔electric church〕」という概念と、60年代終わり頃に撮影されたブリクストン(ロンドン郊外)のカリブ系移民のコミュニティの写真と、ダブ詩人LKJことリントン・クウェシ・ジョンソンの詩(大体これがパトワ--ジャマイカ系英語--で書かれているので、半分ぐらい読めない!)から考察するというものだった。結構、カジュアルな文体で、読みやすいけど意味は取りにくいという厄介な文章。大量に、ロック、ブルーズ、レゲエ、ジャズなどのミュージシャンの人名が出てくるけど、全然註釈がないので、その辺りに疎い人には不親切かな(それくらい知っとけってことか)? ちなみにギルロイは今はイエール大学の教授だそう。ヒップなプロフェッサーだなぁ。