聴覚文化リーダー

久しぶりに目次紹介をば。

Auditory Culture Reader (Sensory Formations Series)

Auditory Culture Reader (Sensory Formations Series)

  • マイケル・ブル、レス・バック「序:音へ」
  • 1,音について考える
    • マレー・シェーファー「開いた耳」
    • リー・エリック・シュミット「聴覚の喪失」
    • ティーヴン・コナー「あなたの良き手の助けを借りて:手拍子にかんする報告」
    • ダグラス・カーン「音楽の音〔the Sound of Music〕」
    • ポール・フィルマー「歌の時間:音文化、リズム、社会性」
  • 2,音のさまざまな歴史
    • アラン・コルバン「村の聴覚的標識」
    • ブルース・R・スミス「1600年頃のロンドンに同期〔tune〕する」
    • マーク・M・スミス「南北戦争以前のアメリカにおける聞かれた世界〔Heard World〕を聴く」
    • カリン・ビースターヴェルド「機械時代の悪魔的交響曲:欧米の騒音排除キャンペーンにおける音の技術と象徴、1900〜40年」
    • ジョナサン・スターン「医療の音響文化:間接的聴診、聴診器、『生者の検屍』」
  • 3,さまざまな音の人類学
  • 4,都市における音
    • フランク・トンキス「聴覚的絵葉書:音、記憶、都市」
    • レス・バック「群衆の中の音」
    • ジャン=ポール・ティボー「都市の音的構成」
    • キャロリン・バセット「いくつの楽章?」
    • マイケル・ブル「車のサウンドスケープ:自動車生活〔automobile habitation〕の批判的研究」
  • 5,音楽と共に生き、共に考える
    • ポール・ギルロイ「ブルーズとブルーズ・ダンス:黒い環大西洋〔Black Atlantic〕におけるいくつかのサウンドスケープ
    • ヴィック・シードラー「ディアスポラの音:転位=定位される音」
    • サンジェイ・シャーマ「他者性の音」
    • ステュアート・ホール「カリプソの王たち」
    • スーザン・マックリー「ベッシー・スミス:『考えるブルーズ』」
    • ウィリアム・(レズ)・ヘンリーへのインタヴュー「変革のために『チャット〔クラブDJの喋り〕』する!」
    • ジュリアン・ヘンリックス「音的支配とレゲエのサウンド・システム・セッション」
    • リチャード・セネット「反抗」
  • 後書き:ヒレル・シュウォーツ「守りがたい耳:ある歴史」

昨日見つけたギルロイ論文が入っているリーダー。http://d.hatena.ne.jp/soulflower/20050929#p1で紹介されていて、買ったまま、本棚に放り込んでいたもの。
視覚文化という研究領域が出てきた時に、早晩こういうのは出てくるなとは思っていた。美術史→視覚文化研究という流れと同じように、音楽学→聴覚文化研究という流れが出てくるのは当然だろう。最近会った三人の「音楽を研究している」という院生たちも、楽器学、民謡研究、映画における音の研究と、「音楽学」というよりは、「聴覚文化研究」といった方が収まりよい感じがする。
こういう研究がはじまったのは、やはり第一部であげられているようなシェーファー以降のサウンドスケープ論や実践としてのサウンド・アートの興隆が大きいのだろう。さらに、第二部はアナール学派の流れを汲む社会史/感性の歴史、第三部は人類学、第四章は都市論、第五章はカルチュラル・スタディーズ/ポピュラー音楽研究とさまざまな源流が見て取れる。いわばサウンドスケープの考え方が、それらの研究領域を刺激した結果出てきた潮流なのかな。西洋近代における視覚中心主義をずらすという目標もあるだろう。
この手の本は、日本ではまだ少ないが、たびたび言及している増田聡氏(id:smasudahttp://homepage3.nifty.com/MASUDA/)や、元祖、細川周平氏(『レコードの美学』など)のほかに、小沼純一氏の『サウンド・エシックス―これからの「音楽文化論」入門 (平凡社新書)』などもある。
もちろんシェーファー関係(「マリー」と表記されることもあるが、Murrayなので、「マレー」の方が近いかな)は多い。とりあえずシェーファーの『世界の調律―サウンドスケープとはなにか (テオリア叢書)』。


ところで、昨日挙げたギルロイ論文「ブルーズとブルーズ・ダンス:黒い環大西洋におけるいくつかのサウンドスケープ」だけれど、ブルーズとはさして関係がなかった。斜め読みした結果、話題の中心は、彼がいう「ブラック・アトランティック」、すなわち大西洋を囲むアフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカにおける黒人移民文化におけるサウンドスケープの問題を、ジミ・ヘンドリックスが考えていたという「電気的な教会〔electric church〕」という概念と、60年代終わり頃に撮影されたブリクストン(ロンドン郊外)のカリブ系移民のコミュニティの写真と、ダブ詩人LKJことリントン・クウェシ・ジョンソンの詩(大体これがパトワ--ジャマイカ系英語--で書かれているので、半分ぐらい読めない!)から考察するというものだった。結構、カジュアルな文体で、読みやすいけど意味は取りにくいという厄介な文章。大量に、ロック、ブルーズ、レゲエ、ジャズなどのミュージシャンの人名が出てくるけど、全然註釈がないので、その辺りに疎い人には不親切かな(それくらい知っとけってことか)? ちなみにギルロイは今はイエール大学の教授だそう。ヒップなプロフェッサーだなぁ。