サーカス雑感

昨日行ってきた木下大サーカス京都公演(木下サーカス公式サイト【トップページ】参照)に関するメモ。

  • ビルディング・タイプとしてのサーカスのテントに関する研究ってないんだろうか。ヴァナキュラー建築のことや建築と建造物の境目や恒久性と仮設性の問題を考えるのに重要な気がする。こちら→はてなフォトライフ - 無料・大容量、写真を共有できるウェブアルバムにテントの写真をまとめておいた。http://d.hatena.ne.jp/akf/20051226で書かれていた「ラーメン横綱」の看板も。
  • 円形劇場と言っても、そのうち90度分は入場口と大仕掛けなオートバイ用の仕掛のために取られていたので、客席があるのは実質270度分。で、出入り口の対面の90度がいわば正面となり、クラウンのショーもそちらを向いて行われる。つまり、客席には角度によってヒエラルキーがあるということ。僕たちは、その横に座っていたので、妙にじれったい思いをする。その羨望観も織り込み済みだろう。
  • 座った席はリングサイド。「輪」の横で、これがプロレスのリング(四角いのに「輪」)の語源なんだろう。
  • でも円形は円形なので、「舞台」というものがあるわけでなく、当然幕もないので、ショーとショーを繋ぐ時間をだれさせないようにするのが肝要。で、その間隙をクラウンたちが、セットの片づけの邪魔にならない場所、リングの端や客席内で繋ぐ。非常に立体的な構成である。色んなところで色んなことが起こる。音や光で客の注意を引く。サーカスな日々 - はてなStereo Diaryで書かれているように、オーディエンスの「散漫な緊張」を持続させるための細かい仕掛が満載であった。舞台というものの単線性に比べて、非常に複線的に進行していく面白さ。
  • クラウンなどの演技に客の注意が向いている間にセットを片付ける訳だが、その片づけの見事なこと。猛獣ショーのあと、リングを全面囲っていた檻(金網デスマッチの金網みたいなもの)が、数分の間に片付けられ、ライオンやトラやヒョウの排泄物なども綺麗に清掃される。それ自体ショーを見ているような動き。リハーサルしてそう。で、そうやって片付けていた連中が最後に空中ブランコ・ショーをやっていた。演劇のように分業するのではなく、いくつもの役を団員がこなすということが分かる。
  • 当然、繋ぎのクラウン(道化)たちの役割が重要になってくる。相当、手練れの様子で、テレビとかで見ても、サーカスのクラウンって面白いとは思わなかったけど、現場で見ると結構笑える。小学生とか爆笑&ツッコミまくり。やっぱりトリックスターであり、コメディア・デラルテ→サーカスのクラウン→ボードヴィル・ショー→スラップスティック映画という教科書に出てきそうな流れは確かに感じられた。チャップリンやハーポ・マルクスの動きの原型。でも、「原型」と書いたけど、もしかしたらそうしたスラップスティック映画での動きが、サーカスのクラウンに環流したっていうこともあるかもしれない。
  • クラウンは二人ともアメリカ人だった。鉄棒ショーやイリュージョン系マジック、フラフープのショーなども白人だった。さまざまなサーカスを渡り歩いているのだろうか。引き抜きとかありそうだし、やっぱりプロレスの興行と似ているような気がする。
  • 動物ショーも面白かった。でも動物愛護の問題などクリアすべき面も多いはず。大変だと思う。シマウマの曲馬、猛獣ショーなどの動きは、ツッコミどころもあるものの見事。で、笑ったのがキリン。単に一周して、客の手からバナナを食うだけ。芸も何もない。でも、客は沸く。規格外ということが、いかに「ワンダー」を呼び起こすかの例である。アンドレ・ザ・ジャイアントとかジャイアント馬場とかエル・ヒガンテとかと一緒。
  • 歌舞伎の「葛の葉」をアレンジしたショーとか、軽業の古典芸「坂綱」をリヴァイヴァルしたものとか、「日本性」を強調したものがいくつか。「日本のサーカス」というアイデンティティ確認のためか。セルフ・オリエンタリズム? 海外でやるならまだしも、日本のオーディエンス相手にしているので、不思議な感じがした。でも、「坂綱」、すなわちテントの天井まで斜め45度で渡された綱を番傘を持って登っていき、そのまま滑降するという芸は、結構凄かった。

まだまだ色々考えることはある。また行こう。