そうだ、京都行こう
近代における「風景」や「場所性」の概念に、鉄道が非常に深く関わっているということは、つとに指摘されているが、JR東海のキャンペーンは、そのまさに分かりやすい例だと思う。で、それを一覧できるサイト。
- http://www.jr-central.co.jp/museum/kyoto/list.html
- http://www.jr-central.co.jp/museum/nara/list.html あ、奈良もあったのか。
こないだ、京都駅で見たんだけど、関西の人間を東京に誘致しようというキャンペーンのポスターもあった。東京からの新幹線だけじゃなく、東京への新幹線もどうぞっていう魂胆だな。
このキャンペーンの為に作られたポスター(あれ? 上のサイトにはない。伏見稲荷の連続する鳥居が写っている写真を使ったもの)を、拙論のネタふりとして使ったことがある。
大成功を収めたJR東海による「そうだ京都、行こう」キャンペーンの広告コピーに、「『これからのニッポンは』の悩みには、『むかしむかしのニッポン』がお答えします」とある。この広告は、東京から京都観光に向かうときに、東海道新幹線を使うことを消費者に勧めるものである。ということは「これからのニッポン」とは東京であり、「むかしむかしのニッポン」とは京都であると理解して間違いはないであろう。すなわち東京という場所は、未来のメタファーであり、京都は過去のメタファーであるといえるであろうし、現在・未来の不具合を治癒する力として過去が持ち出されているといえよう。ここにおいて京都らしさ――京都性――とは、過去の歴史と結びついたとされる。とはいえ、実際に京都で暮らしている人間が過去を意識することなどほとんどといっていいほどない。日常生活のなかでは、コンビニもあれば、ファスト・フード・チェーンもある、日本のどこにでもある地方都市と大して変わりはないのである。ところが、雑誌やテレビなどのマスメディアにおいては、京都という都市を過去と結びつけることが、不断に行われている。このJR東海のポスターにおいて京都を過去と結びつけているのは、広告コピーというテクストと写真というイメージである。こうしたテクストやイメージを、本稿ではトポグラフィと呼びたいと思う(佐藤守弘「伝統の地政学:世紀転換期における京都性の構築」『美術京都』35号、中信美術奨励基金、2005年10月)。
- ちなみに「風景」と鉄道の問題については、以下を参照
- W・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化』
- 武田信明『〈個室〉と〈まなざし〉―菊富士ホテルから見る「大正」空間 (講談社選書メチエ)』/『三四郎の乗った汽車 (江戸東京ライブラリー)』
- 内田隆三『国土論』
- 『鉄道と絵画:描かれた旅とロマン』(展覧会図録)