西田潤展

昨日は、大学で仕事した後、学内の展示施設、ギャラリー・フロールで開かれている『http://www.kyoto-seika.ac.jp/fleur/2006/jun_nishida/index.html』へ(〜5月14日/その後、5月20日〜6月3日に大阪のARTCOURT Galleryに巡回)。
非常に興味深い展覧会だった。瓦礫のようにも見える作品が、ギャラリーのあちこちに屹立している。多くの作品は、大理石のようにも、あるいは玉のようにも見える陶肌を持っているどうも釉薬そのものを焼いているらしい。「瓦礫」と書いたが、瓦礫に似つかわしくないほど、清澄な素材感が感じられる。
ほとんど全ての作品は、割られ、その割れた部分からパイプのような――あるいは臓器のような――ものが何本も付きだしている。また、どうも焼き切れなかった釉薬らしきものが、粉状で付着している。また、作品の焼成する段階での枠であった金属や耐火煉瓦の痕も付着している。作品集での記述によれば、陶が窯の中で焼かれる時の外部、内部で、さまざまな「温度域」を持ち、それを可視化させることが、目的であったようだ(陶芸を考える上では、窯における変化というものが非常に重要であるようだ)。以前、聴いた佐藤啓介さんの発表で指摘されていた「痕跡の痕跡化」「痕跡の二重化」の問題とも絡んでいきそうである。
「高潔な瓦礫」という言葉が、頭に浮かぶ。廃墟というには、清々しすぎる。ピクチャレスクに回収されない棘のようなものが、あちこちから付きだしている。また、フリードリヒの描く割れた氷河を思わせるからだろうか、「崇高」という言葉も頭をよぎった。
と、記述らしきことをやってみたが、本当に言語化しにくい作品である。もちろん僕が、立体作品の記述に慣れていないというのもあるだろうが、それだけじゃないような気がする。西田の作品が持つ「ピクチャレスク」を突き破る棘とは、すなわち言語の網から突きだしてしまうものなのかもしれない。実際、パイプの割れた先端が刺さりそうにこちらに迫ってくるところが、西田の作品において、最も印象的なところであった。距離を無遠慮に侵害してくる棘。


作者が、28の若さで夭折(しかも異郷で客死)したということは、もちろん作品自体の評価になんの関係もないことで、そのような言説を吹き飛ばす「勁さ」のようなものを西田自身の作品は持っていると思う(展示自体も、決して「遺作」を過剰に強調している訳ではない)。それでも、観る者は、「作者が夭折した」という知識を頭に入れて観る訳で、「肖像写真」と「遺影」の差のようなものが、「作品」と「遺作」/「個展」と「遺作展」の間にもあると、興味深く考えた。「遺影」――かつて生きていたある人の痕跡――として観られてしまう作品(痕跡の二重化どころでなく、「三重化」してしまう)は、まさにさまざまな意味で遺物である。この辺りもモノとコンテクストの問題として考えないといけないと思った。

  • 絶―西田潤作品集
    • 作品集。写真もすばらしい。インタヴューや制作の様子が納められたDVD付き。
  • http://jun-nishida.com/
    • 作者のウェブサイト。きちんと遺され、アップデートもされている(しかし、ナンシー関の「NANCY SEKI's FACTORY『ボン研究所』」もそうだけど、こういう作者が亡くなったあとも遺され、維持されているサイトって、まるで「遺影」と同じように、遺された者の思いというものがひしひしと感じられる)