なかった未来

昨日の「ニナレコ」展 - 蒼猴軒日録で書いたことの続き。
今はすっかりご無沙汰だけど、まあまあSFファンだったことがある。とはいっても、さしてコアなファンではない。SF大会に行くわけでもなく、同人誌に書くわけでもなく、まあいわゆる「古典」とか「オールタイム・ベスト」とか言われるのは、多く読んでいて、話題の新刊などもチェックしていたって程度であったけれど。
でも最近ほとんど読まなくなった(というか、最近小説自体あまり読まなくなったんだけど)。最近読んだのは、ロバート・ソウヤーくらいかな。サイバーパンクスティームパンクが一段落して、グレゴリー・ベンフォードやグレッグ・ベアくらいまでは読んでたけど、実は『ハイペリオン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)』も一作目だけで終わっている。
でも、必死でSFを読んでたときの気持ちってのは思い出す。とくに50年代のSF。アジモフ、クラーク、ハインラインの御三家はもとより、シマック(とくに『都市 (ハヤカワ文庫 SF 205)』)、スタージョン(『人間以上 (ハヤカワ文庫 SF 317)』)とか、「こんなことを考えつくか!」という驚きの数々。これが「驚きの感覚(Sense of Wonder)」なんだろうって思っていた。時代は下がるけどラリー・ニーヴンとかロバート・L・フォワードとかのハードなのも好きだったな。まさに「あり得べき未来」を想像するって感じで。
その一方で、P・K・ディックとか、ブライアン・オールディスとか、J・G・バラードとかのいわゆるニューウェーヴにもはまった。また、いわゆるワイドスクリーン・バロックの系譜。ヴァン・ヴォークト宇宙船ビーグル号 (ハヤカワ文庫 SF 291)』から、アルフレッド・ベスター虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫SF)』へ、果てはポストモダンなサミュエル・ディレイニーバベル17 (ハヤカワ文庫 SF 248)』という、SF的なセッティングやガジェットをひねた形で使うやつ。
特に好きだったのは、『虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫SF)』。いまだに一番好きなSF小説である。
でも、この辺りのおもしろさって、「センス・オヴ・ワンダー」を追求するっていうのじゃなかったと思う。「あり得べき未来」じゃなくって、この辺りの小説の想像力を言い表すには、「なかった未来」っていうのがいいんじゃないか、って思った。「サイエンス・フィクション」じゃなくって、「SFのフィクション」というか。考えたら、「ワイドスクリーン」、すなわち映画だもんな。「未来を描いた映画を表象する」といえばいいのかな。
この稿、また続く。まとめるために『虎よ、虎よ!』を引っ張り出してみよう。