東京美術学校
昨日(美術学校 - 蒼猴軒日録)の続きで、まずは東美校の学科編成の推移。ウェブだけでやってるので、大雑把。また大学史(『東京芸術大学百年史 (東京美術学校篇 第1巻)』など)かなんかで確認します。
- 1887 絵画(日本画)科、彫刻(木彫)科、美術工芸(金工・漆工)科
- 1892 +練金科
- 1895 +鍛金科
- 1896 +西洋画(1933に油画科)、図案科
- 1899 +塑造科
- 1907 +図画師範科
- 1914 +製版科(〜1923)
- 1915 +臨時写真科(〜1926)
- 1923 +建築科
- 絵画、彫刻、工芸、建築の4学科+師範科という体制へ
- よく知られていることだが、はじめは、西洋画、塑造(西洋系の彫刻)などの西洋系の学科がなかった。この辺りは、佐藤道信『〈日本美術〉誕生 (講談社選書メチエ)』など。
- 「図案科」の「案」は、本当は「木へんに安」のはず。
- 製版科、臨時写真科は、1921年に創立される東京高等工芸学校の母体となる(→東京工業専門学校→千葉大学工学部へ)。「産業」系の分離か?