dépaysementとpaysage
最近、考現学、超芸術トマソン、シュルレアリスムから考古学、狩猟や犯罪捜査にいたるまで、さらにさらに広げれば写真実践のすべてに深く関係している「痕跡の蒐集」のことについていろいろ考えている。また、フランスでふっと自分の足を見たら、履いていたズボンに猫の毛が刺さっているのを見て、デカ猫アントンのことを想い出したりしたこともあった。
ずっと「風景」の研究をしてきて、最近気付いたのは、どうも「風景」が好きじゃないから「風景」の研究をし出したらしいということ(今頃気付くな)。で、柄谷やらサイードやらミッチェルやら、いろんな風景批判をベースとして、風景の研究をしてきた。
では、風景のオルタナティヴとは何か、風景とはまた別の人と環境の関わり方はないのかといろいろ考えているうちに行き当たったのが、以前から興味を持っていた考現学以下の行為どもである。
まだまだ考えが固まっていないので、あやふやだが、要するに「風景」とは、対象である環境を、アイコン的/メタファー的に類似性に基づいて表象したものであるとするならば、考現学などは、対象である環境をインデックス的/メトニミー的に指示するものであるということ。
- このことを突き詰めていくと、二項対立だけではなく、三番目の三角形の頂点であるシンボル的/シネクドキ的な人間と環境の関わりというのが想定されるが、これに関してはまだまだ考え中なので、あまり突っ込まないで。ちなみに、シンボルとシネクドキをつなげるのは、『認識のレトリック』など、瀬戸賢一氏の考えに基づく。
じゃあ、それをどう名付けるか。今先生に従ってとりあえず「採集」と名付けてきたが、どうもしっくり来ない。「風景」と距離がありすぎるからか。
で、今回フランスを旅している間に思いついたのが、シュルレアリスムやブレヒトなどの文脈で出てくる「dépaysement(ディペイズマン)」という言葉。ある特定のコンテクストにあったモノを、そのコンテクストから引きはがし、全く別のコンテクストに放り込むというアレである。
「dépaysement」には、「転地、転移、転位、異郷化、違和感、異化」など、いろんな日本語が当てられるが、「異郷化、違和感、異化」とすると、「別のコンテクストに放り込む」ことのみが強調されかねないので、「コンテクストから引きはがす」ことを強調する「転地」を当てるのがいいんじゃないかなととりあえずは考えている(以上のことをもっと詳しく明日のシンポで話そうかと思っていたけど、持ち時間があまりないのでサワリだけにします)。
さらに、「dépaysement」を「paysage」と対比させることは、両方の語に「pays=土地、国、場」が絡むので面白い。これは、日本語はもちろん、英語(landscapeとdisplacement)で考えても、はっきりはしないことであるが。
で、確かナンシーの新訳に、「dépaysement」について書かれている論があると書評で読んだことを思い出し、帰国後早速本屋に。で↓を入手。
- 作者: ジャン=リュック・ナンシー,西山達也,大道寺玲央
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 2006/04/07
- メディア: 単行本
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以下のような論集も発見したので、即購入。
- 作者: 柴田陽弘
- 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
- 発売日: 2006/04
- メディア: 単行本
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