『チマ・チョゴリ制服の民族誌』
衣服は、明らかに社会的、文化的記号、すなわち一種の「コトバ」であるわけで、なかでも制服っていうのは文字通りコトバを着て歩いているようなもんである。この辺りを講義でも扱おうと思っていたが、↓の本は参考になる。
- 作者: 韓東賢
- 出版社/メーカー: 双風舎
- 発売日: 2006/05/25
- メディア: 単行本
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チマ・チョゴリ制服とは、日本の朝鮮学校だけのもので、本国にも、韓国にもないものということ自体、門外漢としては知らなかったこと。しかも単に強制されたものではなく、学生側からの自発的なものでもあったという。で、著者は、それを単にナショナリズムの記号として説明しきってしまうことに疑問を感じ、チマ・チョゴリ制服という文化的モノに交錯するナショナリズム、エスニシティ、ジェンダー(男子生徒用の民族服制服はない)を読み解いていこうとする。社会学らしく、衣服の形式分析ではなく、実際に制服を着ていた世代の聞き取りが調査のコアをなす。
チマ・チョゴリ制服と「伝統的」チマ・チョゴリとの差異の指摘も面白い。要するにあれは、ほとんど「洋服」であるようだ(確かにスカートがプリーツだなとは思っていたけど)。
著者は、衣服を単に記号保持物として扱うのではなく、その「モノ」としての側面も忘れてはいけないという(ただし、まだ半分くらいしか読んでないが、さほど「モノ」としての側面が強調されるわけでもないようだ。も少ししっかり読み込まないと、断言はできないが)。
修士論文として書かれたものが基となったらしく、つまり学術論文。ということは、問題提起、先行文献の紹介/批判、結論というのが明確に出ている訳で、ある意味読みやすい。さっそく紹介されていた文献をいくつか発注。
- ポガトゥイリョフ『衣裳のフォークロア』
- 北山晴一『おしゃれの社会史 (朝日選書)』
- 横田尚美『ファッションを考える (生活・人間科学シリーズ)』
ブログも有名な双風舎さん(id:lelele)――『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』の版元としても有名――から出ている。