古い標本
こないだ行った(東大博物館展覧会メモ - 蒼猴軒日録)東大総合研究博での展示「Systema Naturae ――標本は語る」の図録到来。
標本は語る―Systema naturae (東京大学コレクション (19))
- 作者: 大場秀章
- 出版社/メーカー: 東京大学総合研究博物館
- 発売日: 2005/08
- メディア: 単行本
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この「古い標本」というのがポイントだと思う。まっさらの「科学的」な標本と違い、多くは古びて変色し、時には発見・整理されたときの標本札が貼りついていたり、あるいは直接情報が書き込まれたりしている古い標本には、なにかしら惹きつけるものがある。
総合研究博の所蔵品は、東京帝大〜東大のさまざまな研究室――動物学、植物学、地質学、人類学、考古学など――にあった標本類で、もはや使われなくなったものばかり。西野嘉章『ミクロコスモグラフィア マーク・ダイオンの[驚異の部屋]講義録』を読み返していたら、これらを「学術廃棄物」と称している。こうした「古い標本」は、とくに理系の研究室ではいまや無用のものであり、実際にゴミとして捨てられていたものも多いという。
「捨てられた」こと、すなわち有用性のネットワークからこぼれ落ちたものを、もう一度拾い集め、現代の科学とは少し違う分類法で秩序づけようとするのが総合研究博の目論見であるのだろう。ここには当然、フーコーの『言葉と物―人文科学の考古学』やレヴィ=ストロースの『野生の思考』という考え方が底流にあるだろうし、シュルレアリストたちの「オブジェ・トゥルヴェ」への意識もあろう。
「古い標本」の持つ魅力というのは、そういったもうひとつの秩序を垣間見ることにあるのかもしれない。てなことを考えながら、楽しむ。