on LKJ pt.1

ちょびちょびとLKJについて書いていこう。とりあえずは経歴。

  • LKJこと、リントン・クウェシ・ジョンスンは1952年、ジャマイカ生まれ。11歳のころ、ロンドンに移住する。その後、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにて社会学を専攻し、学士号を得る。
    • 世代は違うが、すこしスチュアート・ホール(32年生まれ)の履歴――ジャマイカ生まれで、子どもの頃に移住し、イギリスで高等教育を受ける――と似ている。この頃のゴールドスミスの社会学がどういった傾向だったかは分からないが、その後、ポール・ギルロイを擁するカルチュラル・スタディーズのひとつの中心となっていった事実は興味深い。
  • 大学在学中に、ブラック・パンサーに加わり、政治意識を高める一方で、詩作をはじめる。74年に『Race Today』誌に詩を発表し、さらに同誌からジャマイカン・クレオールで書かれた第一詩集『死者と生者の声(Voices of the Living and the Dead)』を出版する。
    • ダブ詩人として、レコードでデビューしたわけではなく、まずはテクストの形で発表していたというところに注目。
  • 1978年には、デニス・ボーヴェルのプロデュースで、レコード『ドレッド、ビート、そして血(Dread Beat An' Blood)』を発表し、ダブ詩(Dub Poetry)というスタイルを確立。その後、アイランド・レーベルから4枚のアルバムを発表した後、アイランドを離れ、自身のLKJレーベル(設立は81年、LKJ Records - Linton Kwesi Johnson |)からレコードをリリースする。
  • 2002年には、詩選、Mi Revalueshanary Fren: Selected Poems (Penguin Modern Classics)がペンギンから発刊される。存命の詩人でペンギン・クラシックスに収録されているのは、三人だけらしい。


以上は、http://lister.ultrakohl.com/homepage/Lkj/lkj.htm、およびLinton Kwesi Johnson - Wikipediaを参照した。LKJにかんしては、鈴木慎一郎レゲエ・トレイン―ディアスポラの響き』に収録された論文「レゲエ/ダブ/ポエトリー――とくにリントン・クウェシ・ジョンスンをめぐって」が参考になる。