西洋音楽史

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

以前、ここでも、日本写真史(id:morohiro_s:20050305#p1)、日本美術史(id:morohiro_s:20051228#p1)における「通史」というものにちらっと疑問を呈したことがある。どちらでもさして踏み込んでは書いていないが、かいつまんで言うと、通史というのは、歴史の多元性、複雑性というものを、捨象してしまい、唯一無二の閉じた単線の歴史に回収してしまう危険性があるということ。以前、キャロル・グラック師のゼミに出ていた時、彼女の言う「歴史を複雑化せよ」と言う(一種の)マニフェストは、そういう単線化への警鐘だと、僕は受け取っている。
一方で、高校までは、美術史や音楽史に関する通り一遍の手ほどきさえなされないことが多い日本の教育現場のこと(音楽室のバッハ、モーツァルトベートーヴェン等の肖像画が印刷された年表くらいしか思い出せない)を鑑みると、まずは基礎知識を付けて貰うためにも、コンパクトな通史が必要であることは、否めない。何の話をするにしても、その辺りが受講者の頭に一応は入ってたら楽だもんね(教える側のワガママですか?)。ある人が「学生の既成概念を脱構築しようと思ったら、既成概念がもともとなかった」と嘆息したというが、確かに。
じゃあ、折衷案としては、問題意識のある通史があったらいい訳で。読んでいるうちに、「流れ」が頭に入り、「どのように言われているか」という研究史もわかり、さらにはそれらの問題系に対して開かれているような通史があればいいのだ。でも、そんなのってなかなかないし、「じゃあお前書けよ」って言われたら、尻に帆を掛けて逃げ出したくなるだろう。
その辺りで、岡田氏の『西洋音楽史』はよく出来ていると思う。もちろん僕は音楽史に関しては門外漢であり、専門家から見るとさまざまな問題点は指摘されると思うが。
序で、西洋の所謂「クラシック音楽」といわれる「芸術音楽」とは、質の判断を含むものではなく、あくまでも楽譜という「エクリチュール」に基づく「書かれた音楽」のことを指すという定義からも伺えるように、かつての通史のように西洋音楽を普遍的なものと見なし、その技法や様式の「発展」を記述し、大作曲家という「天才たち」を並べて良しとするようなアプローチは採っていない。むしろ、思想史、文化史などにもきちんと目配りし、また「聴衆」の問題、「演奏会」「楽譜出版」といった流通の制度の問題なども押さえられている点で、相当に「開かれた」通史だと思う。
もちろん、本当に西洋音楽の歴史を全く知らない、挙げられている曲がどういうものか全く思い浮かばない初学者が読んで、理解できるかどうかは分からないけど。
でも、少なくとも、こういう通史が昔あったら良かったなとは思う。


あと、挙げられている図版も素晴らしいので、要チェック。