「鉄道写真蒐集の欲望」

前エントリに続いて、拙稿の告知です。

  • 佐藤守弘「鉄道写真蒐集の欲望--20世紀初頭の日本における鉄道の視覚文化」、『京都精華大学紀要』39号、2011年9月、49-72ページ。

大学のウェブサイトからダウンロードできます。


『トポグラフィの日本近代』でもあちこちで言及していた日本近代における鉄道の視覚文化(「鉄道、鉄道って言い過ぎ」って突っ込まれたこともある)ですが、それをとりあえずまとめた論考を紀要に発表しました。
「とりあえず」というのも、鉄道と視覚文化の問題って、調べれば調べるほど泥沼で、あれもあるこれもあるって状態で、少し散漫な論文になってきました。まずは「序説」ということでご勘弁を(鉄道写真の向こうには、どうやら土木写真という未知の鉱脈があるみたいだし)
ちなみに紀要なんですが、最近査読制度を導入したというので、査読付きで投稿しました。


序章の抜粋です↓

【前略】鉄道趣味とは、日本においてはいつごろ始まったのであろうか。1929年に雑誌『鉄道』(模型電気鉄道研究会)が創刊し、続いて『鉄道趣味』(鉄道趣味社)が1933年に創刊する。実際の発行部数は分からないものの、規模の小さなものであれ、1930年代には鉄道趣味者の共同体が成立し始めていたことが窺い知れよう。
しかしながら、それを遡ること20年余、二人の鉄道趣味人がいた。一人は岩崎輝弥(1887-1956)、もう一人は渡辺四郎(1880-1921)で、両人とも財閥の子弟であった。二人は交友があり、ともに鉄道写真を蒐集していた。学生の頃、二人はそれぞれ、1902年から07年頃の期間に、当時の日本の写真界を代表する写真師、小川一真(1860-1929)に鉄道写真の撮影を依頼し、その写真群をコレクションとして所蔵していた。二人は、小川とその門弟を伴って、日本全国を巡り、蒸気機関車、橋梁、トンネル、駅などの写真を撮影させたという。両人のコレクションは、現在では鉄道博物館さいたま市)に「岩崎・渡辺コレクション」として収蔵されている 。【中略】
本稿の課題は二つある。まずは鉄道と視覚文化の歴史的な問題を整理、再考するために、19世紀からの日本の鉄道表象の歴史を振り返り、人々の鉄道に関する認識がどのように変容したのかを検証する。そこで明らかにされるのは、鉄道車輌そのものへの興味が20世紀初頭には薄れはじめ、代わって線路によって表象される鉄道網というネットワークへの興味が増していく過程であろう。第二の課題は、そのような変容を経た上でなお、なぜ車輌自体を撮影した写真をコレクターたちは欲したのかという問いを解決することである。鉄道という物質文化と写真という視覚文化の交錯するところに存在する鉄道写真――とくに機関車車輌を写す写真――に注目することで、20世紀初頭の日本における技術と文化、そしてコレクターたちの欲望に迫りたいと考えている。【中略】
第1章では、小川一真による『日本鉄道紀要』と岩崎・渡辺コレクションを比較して、コレクションの内容、および写真について考察する。第2章では、歴史を遡り、欧米、および日本における鉄道と写真の歴史の黎明期を辿って、蒸気機関車車輌の威容が、驚嘆すべきスペクタクルとして当時の人に与えた影響を素描する。第3章では、日本における鉄道発達の歴史を辿りながら、1900年頃に日本全土を覆うようになった鉄道のネットワークが人々の空間認識に与えた影響について議論し、車輌そのものより、各地を繋ぐ線路のネットワークが重要視されていく過程を追っていく。第4章では、理論的な側面――さまざまなミニアチュール論やコレクション論――から、鉄道写真をコレクションする欲望を分析したい。そして終章では、岩崎・渡辺コレクションが後に辿った〈人生〉を分析して、視覚/物質文化における「モノの社会的人生」について考察を加える。

正誤表

早速一個見つけました。誤植というか校正ミス(査読付きだったせいか、校正が一回しかなかったので、と言い訳)です。

  • 71ページ 註44
    • (誤)ibid.,
    • (生)ibid., 65.