近代における「書」

上記の広告が載っていたのは、ネットで注文した『実業世界太平洋』という雑誌である。『太陽』の版元、博文館が出していたもので、手に入れたのは臨時増刊の博覧会特集。1903年なので、これは大阪天王寺で行われた第五回内国勧業博覧会のこと。「美術館」に関する記事など興味深い。「純美術」と「工芸品」を分けるかどうかの論議があったことも窺い知ることができるし、結局その論争には決着が付かず、ただ書だけが「美術たる精神に反す」として出品を拒絶されたということも分かる。
近代における「書」の問題については、もっと考えてみたい。要点をいうと、「美術」という概念が移入される前の近世において、「美術」に相当するものは、中国伝来の「書画」という概念であったと考えていい。もちろん「相当する」といっても、その内実には随分差があった。なんといっても、「画」に先んじる「書」の存在が、「美術」においては、完全に排除されたのである。
それからの「書」は、一種曖昧な存在のまま今日を迎えたといってもいい。戦後に『墨美』などの前衛書運動が、草月流などの前衛華道運動とともに、具体派と連帯しそうになったこともあるが、基本的に明治以来の状況は変わっていない。だって、美大で書科があるところってないし。僕が教えている京都精華大は、たしかに石川九楊氏を招いて研究所を作っているし、京都造形大も井上有一の書をホールに掲げて、シンポジウムも開催してはいるが、教育機関としての書科はない。
もちろん、今更。書を美術に含めるべきだといっているのではない。美術のパレルゴンとしての書の近代史、及び現代における曖昧な立ち位置が興味深いのである。あと、アマチュアによる師弟関係や同人の問題とか。これは、「写真」の問題とも無関係ではない。