マンガの始源?

日本のマンガにはさまざまな「始祖」が設定されてきた。たとえば鳥羽僧正、葛飾北斎、耳鳥斎、歌川国芳月岡芳年、その他無名のさまざまな絵巻、大津絵、鳥羽絵などにおける戯画師たち。近代で言えば、小林清親だったり、柳瀬正夢だったり。それらの始源に関する言説を集めて、検証してみようと思い立った。もちろん、それらのどれが蓋然性が高いかを判定するためではない。そんなことには興味がない(マンガは、あくまでも近代の社会、メディアのある特定の状況の中で出てくる視覚文化であり、それらの文化的コンテクストを無視して、違うコンテクスト、違う言説空間のなかで生まれた始源と結びつけることは、ナンセンスであると思っている)。
任意の一人の絵師/画人を始祖として設定することに、どのような諸力がはたらいているのかを検討すること。これが目的である。マンガの始祖を「美術」に求めることによるマンガの地位の向上--マンガの真正性/正統性の主張--である場合もあるだろうし、マンガを発生させる原因をそれらの絵師に探ること--「日本には、西洋と違う美術観があった!」という日本文化特殊論にも繋がる--である場合もあろう。それらの言説が発話された文化的コンテクストをきっちり踏まえた上で、その言説がどのように実践に関わってくるかを検証してみたいのである。「マンガの自律性」、「マンガ批評の自律性」に関する言説にも関わってくるな。
これは、「マンガ」と「美術」に関する言説自体に対する問いにもなる。マンガを語ることによって「美術」の境界画定が行われる場合もあるだろうし、その逆もあろう。とりあえず手持ちの図録『マンガ文化の源流』を検討しよう。
村上隆が「奇想の画家」たちを、どのように始源として設定しているか。博士論文「美術における「意味の無意味の意味」をめぐって : アウラの捏造を考察する」(東京藝術大学、1993年、→ARTPHD)も読んでみたい(東京行かないといけないけど)。
以上のことは、昨日、将来のプロジェクトのための会食で、いろいろ話しながら考えたこと。ちなみに村上の論文を読んでみたいというのは、来年から始まる博士課程の学生のための論文作成演習のために、(上記のプロジェクトとは全く関係なく)しようと思っていたことである。アーティストの書く博士論文とは、どういうものであるべきなのかということも、切実な問題であるから。