分母分子論

昨日ふと買ったムック。大瀧詠一相倉久人大滝詠一のポップス講座--分母分子論」(初出『FM Fan』1983年)が再録されている。相倉を相手に、日本のポピュラー音楽の歴史を大瀧が自らの視点から腑分けして語るというもの。
相倉久人については、ジャズの入門書 - 蒼猴軒日録でちらっと書いたことがあるが、権威主義的、教条的な「ジャズ評論家」が持ち得なかった視点を武器に、同時代の状況とも積極的に関わっていた希有な批評家であったと思う。
で、大瀧+ナイアガラについては、僕自身は、『A LONG VACATION 20th Anniversary Edition』や、あるいは彼の作曲/編曲した歌謡曲のベストなどは持っていて、聞く度にそのアレンジの凄みというものに感銘を受けるものの、さして熱心な受け手という訳ではない(コミック・ソングの批評家/アンソロジストとしても尊敬している。クレイジー・キャッツにしてもトニー谷にしても、彼なしで今日の評価があるかどうか)。
で、「分母分子論」だけど、これが面白い。近代の日本における文化--とくに「西洋」との関係--を考える上でも、さまざまに応用できそうである。
戦後の日本のポピュラー音楽を考える上で、大瀧は「世界史」すなわちアメリカのポピュラー音楽が「分母」としてあり、その上に「日本史」すなわち日本のポピュラー音楽という「分子」が乗っかるというメタファーを提示する。
 日本史 
 世界史
ここで言う「世界史」とは、ジャズ(スウィングを中心とした)、ロカビリー、ビートルズ、フォークであったといい、戦後歌謡から、ロカビリー・ブーム、GS、フォークくらいまでの時代ではこのモデルは有効であったという。引用元、参照元がつねに可視的な状態であったと言っていいか。
ただ、その内に、参照元である「世界史」がだんだん見えなくなってくる。「日本史」が「世界史」を隠蔽するというか、内面化する状態。
 日本史 
(世界史)
となると、「世界史」を内面化してしまった「日本史」を参照元とするポピュラー音楽が出てくる。その例として挙げられるのが、(ビートルズサイケデリック・ロックを内面化した)モップスと(ニュー・ロックを内面化した)はっぴぃえんどを参照元とするユーミン、(フォークを内面化した)岡林信康を参照する松山千春などの登場である。とここで三層構造となる。
 日本史 
 日本史 
(世界史)
で、この対談が行われている80年代になると、こうした構造自体が崩れてしまう。大瀧は、これを「五重塔が横倒しになる」というメタファーで語る。
 日|日|世
 本|本|界
 史|史|史
これを「分母の喪失感覚」と大瀧は言う。これに対して相倉は、「建築」から「トレーラー・ハウス」へという気の利いたメタファーを持ち出す。
で『ロング・バケーション』は、その喪われた分母を炙り出す--可視化する--作業であったのだと。ただ、ここまでだと、「ルーツ探し」というか、それこそ「始原の捏造」というか、そういう反動的な結末に陥りそうなんだけど、大瀧の面白いところは、「世界史」から「日本史」への翻訳の過程で否応なく起こる「誤読」を無視しないこと。「その誤解を意図的にキー・ポイントに据えて、新しい価値、または新しいものが創造できるじゃないか」と言ってしまうのである(萩原哲晶の再評価のポイントはそこにある)。
大瀧のこの発言は、その後の途轍もなくマニアックな東京のDJ系音楽文化〜スカパラCKBなどの登場を先取りしているともいえるだろう。また、批判的人類学が前景化した「文化の真正性」と「異種混淆性」の問題とも共通する。日本における「洋画」〜現代美術の問題とも絡むか?

この大瀧による日本ポピュラー音楽史のリヴィジョンを、モダンな「文学史」の書き換え--作者中心主義批判やさまざまな「装置」「制度」へ目配り--とパラレルなものとして捉えるのが、大和田俊之氏による「大瀧詠一アメリカン・ポピュラー・ミュージックの〈起源〉」である。これの註で指摘されていることが面白い。柄谷行人が、大瀧の「分母分子論」に非常に共感し、遠近法=言文一致という装置が隠蔽され、忘却される「日本近代文学」の問題(『日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)』で指摘したこと)と同質なものを見いだしていることである。


ほかにメディア論的に大瀧の「ヘッドホン・コンサート」を読み解いた細馬宏通さん(id:kaerusan)の論考や、内田樹氏によるインタヴューも面白い。