反=風景としてのツギラマ
久しぶりに手に取った本。
- 作者: 非ユークリッド写真連盟[ 糸崎公朗+森田信吾]
- 出版社/メーカー: 工作舎
- 発売日: 1999/11/30
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 67回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
タイトルにもなっている「フォトモ」(たとえば《原宿竹下通り》)、すなわち写真を立体的に再構成した「写真模型」も面白いのだが、そのプロトタイプとなったツギラマ、すなわち複数の視点から撮られた写真を組み上げて一つの風景を二次元で再構成するもの(たとえば《2005/01/24:大阪門真市》)がどうも気になる。もちろん路上観察学の系譜とデイヴィッド・ホックニーのフォト・コラージュ(たとえばHockney: My Mother, Bolton Abbey, Yorkshire, Nov. 82 #4)が出会ったときに生まれてきたものだろうが、どうも「風景」という概念を脱臼させるようななにかがあるような気がしてならない。取り敢えず視点の複数性、時間の錯綜、遠近法の歪みなどが指摘できるが、それ以外にも多分もっと重要なことがあるんじゃないかなと思わせる。もう少し考えてみよう。先ずは年明けの写真論のオープニングはこれだな。
非ユークリッド写真連盟の糸崎公朗氏のサイトは→http://www.itozaki.com/。
クリスマスのポリティックス
ニューヨークでは、この季節はクリスマスの飾り付けと同じくらい、ユダヤ教のハヌカーのための燭台が飾られていた。キリスト教徒でも、ユダヤ教徒でもないので、どっちもあまり関係がないが、大学は短いとはいえ休みだし、正月気分もあって(正月も別に好きな訳じゃないけど)「Happy Holidays」という対象を限定しない複数形での挨拶は悪くないと思っていた。それとこの言葉を聞いてはじめて、クリスマスの政治性というものが実感できた。
右傾化するアメリカ合州国、やっぱ騒いでいる奴等はいるみたいで・・・
「メリー・クリスマス」か、宗教色の薄い「ハッピー・ホリデー」か――米国各地でクリスマスを前にそんな論争が激化している。激論はクリスマス商戦の広告表示から、ツリーやカードの呼び方にまで及ぶ。背景には、ブッシュ大統領再選の原動力にもなったキリスト教右派が開始した「非クリスマス化」反対キャンペーンがある。だが、他宗教の信奉者には反発も強く、ちょっとした“クリスマス文化戦争”の様相だ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/archive/news/2005/12/22/20051222ddm007030060000c.html
「寫眞」というコトバ
語源を辿れば、「光による記述」という意味である"photography"(後の「光画」という造語の方が原意に沿っている)に、なぜ「寫眞」という訳語がくっついたのか。ずっと昔に研究会で発表したこのネタ(眞ヲ寫ス--フォトグラフィと写真のあいだに)を文章にまとめはじめている。東アジアの画論における「真」の概念(これをおっかけだすと深く深くきりがないが)、カメラ・オブスキュラが「写真鏡」と名付けられた所以、「印影鏡」「直写影鏡」などのオルタナティヴな名前の問題、また中国語で「肖像」という意味を持つ「真」や「影」の問題など、再考しなければいけないことは山積み。取り敢えず主要な参考文献は以下。
- 木下直之『写真画論--写真と絵画の結婚(岩波近代日本の美術〈4〉写真画論―写真と絵画の結婚)』
- 木下直之他編『上野彦馬と幕末の写真家たち(日本の写真家〈1〉上野彦馬と幕末の写真家たち)』
- 辻惟雄「『真景』の系譜--中国と日本」『美術史論叢』1/3、東京大学文学部美術史研究室、1984/1987年
- 佐藤道信「『写実』『写真』『写生』」『明治国家と近代美術―美の政治学』
- ドリス・クロワサン「明治初期洋画の肖像画レアリスムについて--高橋由一を中心に」『人文学報』53号、京都大学、1982年
辻論文、クロワサン論文のコピーが見つからん・・・