「ブルース」か「ブルーズ」か

この日録では(とくに最近では)、「blues」を「ブルーズ」と表記しているけど、ほんとに「ブルーズ」でいいのか、単なるスノビズムなんじゃないか(→ブルーズの発見 - 蒼猴軒日録と思ってたら、『東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編』に一つの解答があった。
ゲストに招かれた飯野友幸氏(アメリカ文学)によれば、[blu:z]という単語の最後の音は、音韻論から言っても、濁らないのだそう。じゃあ、なぜ「ブルーズ」という表記が出てきたかと言えば、日本におけるピュアリスト、本質論者が一般との差異化を目指し自らの正統性を誇示する装置として「ブルーズ」と言う表記がされるようになったのではないかと言うこと。
う〜ん、成る程ね。説得力ある。論集『ブルースに囚われて―アメリカのルーツ音楽を探る』も読んでみよう。
じゃあ、「ブルース」でいいのかっていうと、ピーター・バラカン氏は「ブルーズ」と表記することを主張しているhttp://www.happano.org/pages/Peter_Barakan.html#japanese参照)。イギリスでは濁って、アメリカでは濁らないとか?
まあ、「赤ペン先生」「ついつい校正行為に及ぶ男」「校正を校正するために修正液を一本半使い切った男」と呼ばれる畏友によると、原語の発音に近いかたちで表記するのは基本であるとしても、所詮は外国語の発音を別の原語の表記に移すことが究極的には不可能である以上(英語の「r/l」とか「th」を表記する方法は確立されていないし、日本語の「ら行」の音は、英語では「rとlとdの間」らしいし)、大切なのは「正書法」であるという。すなわち「原語でこう発音される音は、日本語ではこのように表記される」というルールが確立していて、書く者と読む者が相互にそれを了解していれば、問題ないとのこと。う〜ん。
一つの逃げ方としては、原語で表記してしまうっていうのがあって、「bluesとは、云々」という方法。明治時代の文章にはこういうのが多いし、今でもそうする人がいるけど、あまり好みではない。
乗りかかった船なんで、とりあえずは「ブルーズ」で押し通そうか。でも飯野氏の言い方も説得力あるしなぁ。ある意味、名訳とも思える「憂歌」にしちゃおうか……
似たような問題は、人名表記のモンダイ: 漫棚通信ブログ版でも、似たような問題が書かれていた。木下長宏氏の大著『思想史としてのゴッホ―複製受容と想像力』では、「Vincent van Gogh」が日本語で何通りに表記されてきたかという問題も採り上げられていたっけ(手許にないので分からないけど、20通りは越えていたと思う)。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」ですな。写真で言えば、「アトジェとは俺のことかとアジェは言い」(これは逆か)
まあ、どうでもいいという人も多いだろうけど、まあこういうことを考えるのが好きなだけではある。