二つの「仏像」観
- われわれが巡礼しようとするのは、『美術』に対してであって、衆生救済の御仏に対してではないのである(和辻哲郎『古寺巡礼 (岩波文庫)』、1919)
- 仏像を語るということは、古来わが国にはなかった現象である。仏像は語るべきものでなく、拝むものだ(亀井勝一郎『大和古寺風物誌 (新潮文庫)』、1952)
モダニスト和辻と、アンチ=モダニスト亀井(近代の超克)という図式でいいだろう。和辻的な仏像観が小川晴暘の仏像写真に現れている(形式上の「美」という基準で測られる「彫刻」としての仏像:「ありがたい」ものではなく、「美しい」もの)のは明らかであるが、亀井的な仏像観が、入江のいわば表現主義的な仏像表象と通底していると考えるのは無理があるかどうか、考えて見る。
ちなみに、和辻的仏像言説の一典型
- 仏様に対してこういう言い方もなんですが、「きれいだなぁ」:モナリザよりも1000年ほど前から、微笑んでおられるそうです(広隆寺の仏像を使ったJR東海「http://www.jr-central.co.jp/museum/kyoto/summer_1996_02.html」キャンペーンのポスター)