京都・奈良の修学旅行

奈良と京都 - 蒼猴軒日録に対する「オイラっち世代の、世田谷の人間=東京・中流にとって、京都・奈良は圧倒的に、修学旅行です」というfukayaさんのコメント(「塊のとしての寺」って言い方、面白かったっす)で、ちょっと気になってネットで修学旅行の歴史を調べてみる。
京都育ちなので、当然、京都・奈良には修学旅行に行っていない(奈良には遠足か何かで行ったか)。昨今は京都への修学旅行の数も激減し、海外などへ行く学校や修学旅行を廃止する学校もあると聞いているけれど、僕の若かった頃は、もうシーズンともなれば、ありとあらゆる学ラン、セーラー服が新京極に溢れかえるという状態だった。そういう学生達を、ゲスト=ホスト論でいえば、ホスト側で、ゲスト達(修学旅行生)をどちらかというと白い眼で見てた側だった(だから自分が修学旅行に行った時には、地元の学生達の眼が妙に気になったもんだった。考えすぎか)。じゃあ、いつ頃から京都・奈良が近畿圏以外の学校の修学旅行の定番となったのか。以下のサイトを参考に。

一番はじめの修学旅行とされるのは、1886年、東京師範学校の行った「長途遠足」だそうで、いわば武装行軍のシミュレーションのようなものだという。その後も、いわゆる「武装行軍修学旅行」というのはよく行われていたが、次第に形式的なものになり、見学見物が実質的な中心となってくるという(のちに軍隊的なものは分離される)
1910年代くらいから、伊勢神宮橿原神宮などの国家神道系の「聖地」がその旅行地となっていくらしい。で、遠藤英樹氏の「観光という『イメージの織物』――奈良を事例とした考察」(須藤広、遠藤英樹編『観光社会学』)に掲載されている年表によると、畝傍、橿原神宮を中心に斑鳩、奈良が小学校上級生、旧制中学生の修学旅行のコースとなっていくのは、1935年頃のことらしい。
じゃあ、京都が修学旅行の中心地となるのはいつ頃からかというと、もう少し資料にあたらないと分からないけど、京都おもしろ宣言−京都新聞には、「昭和30年代に専用列車『きぼう号』等の運行が開始されるなど、ほぼこの時期に現在の修学旅行制度が定着」したという修学旅行列車 - Wikipediaのきぼう号に関する記述も参照)。ということは、1910年代〜30年代に京都・奈良修学旅行の基礎ができて、戦後、50年代終わり頃に定着したということか。一気になったというより、色んなモーメントに分散していると見たらいいのかな。

とりあえず、調べたことメモ。もう少し、修学旅行の歴史について書かれた論文とかをさがさなくちゃ。修学旅行の規律=訓練としての側面(運動会の行進とかとも関係するだろう)とか、それを学生側がどのように流用=転用していくか、とか面白そうな問題は山積み。