『観光する文化--旅と理論の変容』

Touring Cultures: Transformations of Travel and Theory

Touring Cultures: Transformations of Travel and Theory

「観光tourism」というものが、社会科学、人文科学の研究の対象になったのは、さして古いことではない。かつては、例えば、経営学商学などで、ビジネスとして観光が話題になることはあったが、社会学や人類学が問題にし出したのは、もっと新しい(美術史に至ってはまだまだ)。
「観光」について考えるとき、つねに挙げられる文献が、物知り博士ダニエル・ブーアスティンの『幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)』である。ブーアスティンは、近代以前における「旅travel」と比較して、「観光」を近代的構築物であるとした。労苦を伴い、確固たる目的を持った「旅」に対して、マスメディアによって作られた現実--あるいは「疑似イヴェント」--を体験するのが、「観光」だというのだ。そして「観光」を真正ならざる体験だとして糾弾する。この「疑似イヴェント論」は、60年代におけるマスメディアの進展とそれに対する恐怖感の中、相当な影響を与えたようで、僕が若いときに散々読んでいた60年代の日本SF--筒井康隆豊田有恒など--にも「疑似イヴェント」という言葉がよく出てきたもんだった。ただし、「旅」を真正なるものとして設定してしまっている点で、本質主義的な議論に止まっている。
その後、ジュディス・アドラーの「観光の起源」(Annals of Tourism Research, 16-1)、ディーン・マッカネルの『観光者』(The Tourist: A New Theory of the Leisure Class)、バレーン・スミス編『観光・リゾート開発の人類学―ホスト&ゲスト論でみる地域文化の対応』などが出て、大まかに言えば、観光を近代特有の、ゲスト(観光者)とホスト(迎える側)の間に起こるダイナミックな事象として捉えるようになってきた。
ジョン・アーリの『観光のまなざし―現代社会におけるレジャーと旅行 (りぶらりあ選書)』は、特に重要である。なぜならば、フーコーの「まなざし」概念を導入することで、観光が視覚に特化した文化であるということが、この本のなかで明言されたからである(19世紀の鉄道の発展による視覚の枠組みの変容に着目したヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化』も必読)。そのアーリが編者の一人となっているのが、この『観光する文化』という論集である。

クリス・ロジェック、ジョン・アーリ編『観光する文化--旅と理論の変容』

    • クリス・ロジェック、ジョン・アーリ「旅と理論の変容」
  • 1,理論
    • イーヴァ・トキネン、ソイレ・ヴェイジョラ「行き先を見失った観光者--現代文化批評における観光者の形成」
    • クリス・ロジェック「指示、牽引、観光者の視覚の社会的構築」
    • シーラ・ルーシー「旅の目的」
    • ジョージ・リッツァー、アラン・リスカ「〈マック=ディズニー化〉と〈ポスト観光〉--現代の観光への補足的視点」
  • 2,コンテクスト
    • ジェニファー・クレイク「観光の文化」
    • フィリップ・クラング「観光生産品を上演する」
    • シャロンマクドナルド「人々の物語--歴史遺産、アイデンティティ、真正性」
    • キャロル・クレンショウ、ジョン・アーリ「観光と写真的眼」

最後の「観光と写真的眼」には、写真論と観光社会学/人類学の言説をうまくまとめられている。もちろん写真だけではなく、近代の視覚文化を特徴づけるさまざまな装置、パノラマ/ディオラマ、蝋人形館、万国博覧会、美術館/博物館、そして近代的都市そのものが、それぞれ観光と密接な関係にある。あと、個人的な興味で言えば、地理学的な言説と観光のかかわりも興味深いと思う。
観光に興味がある人は、上記に挙げたものだけではなく、以下の文献もどうぞ。