ものQガム卒業写真

今日は、大阪ぶらり一人旅。京都から大阪如きで「旅」もないだろうが、出不精の人間にとっては、東京も大阪も遠いことには変わりがない。京都と大阪って、多分京都と東京くらいの心象的な距離があるし。で、もの、Q、ガム、卒業写真と回った。

  1. まずは「もの」。「もの派再考」展@�������۔��p�ف@NMAOである。「<もの>そのものを提示することで、そこに新しい世界の開示を見いだした」と言うような言葉を見ると、何となく本質主義的な言説の匂いがして、どうも苦手であったのだが、実際展示を見てみると、高松次郎らにより「トロンプ・ルイユ」展からはじまって、もの派のはじまりの一つが〈表象〉を問題とする記号論的なコンセプチュアル・アートにあることが主張されていて、なかなか興味深かった。で、レディ・メイドなどが出ている展覧会でありがちなのが、消火器や地震計を作品だと思って立ち止まること(ありませんか?)だけど、今回は会場中央に聳え立つコンクリート打ち放しの円柱の前でぼーっと立ち止まってしまった。意図的にむき出しにしてたのかな? 図録は売り切れ。残念。
  2. 次は、一階上がって「瑛九フォト・デッサン」展。ローマ字で、「Ei-Q」と書かれると、いつも「頭の天辺に毛が三本」を連想してしまう。あと時々、瑛九(AQ)と靉嘔(IO)が入り交じる。「靉嘔データ」も……言ってみたかっただけですごめんなさいゆるしてくださいすいません。それはさておき、瑛九の50年代のフォトグラム作品を中心とした小企画。なぜ50年代にフォトグラムなのか、と思いながら見た。30年代の世界各地のそれとは違って、いわば切り絵を使った瑛九のものは、あくまでも描くことを主眼とした絵画としての「フォト・デッサン」であり、写真の可能性を追究した「フォトグラム」とは別物なのかなと、未消化ながら一応自分の中で結論づける*1。これが「Q」。
  3. で、「ガム」。日下部一司写真展「あちらこちら」@http://www.threeweb.ad.jp/~ayay/artists/kazushi_kusakabe/index.html。サイトで見て、あっピグメント印画だ、珍しい人がいると思って行ったが、見ているうちに一度レクチャーを赤レンガ倉庫で聞き、お話もした人物であることを思い出す。頭の中のパスが切れていた。ガム印画(ゴム印画)で、厚手の紙にプリントされた写真の表面は、あくまでもモノ性を主張し、撫でさすりたくなる。緑色の顔料でうす〜くプリントされたフラスコの写真の前に、そのフラスコが展示されたインスタレーション作品が面白い。ピグメント印画/ピクトリアリズムの醍醐味は、表層のフェティッシュ化にあると再確認。これはお薦め。廊主の綾さんにもお久しぶりに挨拶し、いろいろとお喋りする。
  4. 最後は、「卒業写真」。澤田知子「Schoolgirls―School Days + cover/Face」展@MEM。以前、砺波市美術館でのトーク・ショーの時にお会いした廊主の石田さんから、ご案内を頂き訪れた。澤田さんの今回の作品は、同じ制服を着ながら、色んな髪型やメイクで微妙な差異のある澤田さんが一クラス分+スーツを着た教師一人分、ずらっと並んだ卒業写真というもの。背後に写っている学校は、澤田さん本人の出身校らしい。もちろんコンピュータ処理で作られている。この手のコンピュータを使った作品は、普通切り貼りした跡をシームレスに隠すもんで、大体「継ぎ目のなさ」がベタな評価ポイントになりがちだとおもうが、この作品群は、すべて切り貼りした跡を全く隠さず、そうした評価を端から寄せ付けない。ただただ同じ顔で微妙に違う雰囲気の人間が、写真パネルのように並んでいるだけ。ステレオ写真の妙に平板な立体感を思わせる。「あまり守備範囲じゃないので分からないんですけど」とか言いながらハイパーアクティヴに色々喋ってしまう。「森村さんと似てるけど、何か違うものを感じるんですけど、何が違うんですかね」とか、「DM見たとき、世代的にYMOの『増殖*2を思い出したんですよね」とか、「初期の3分間写真のシリーズは、一種のコレクションと考えられますかね」とかいい加減なことを喋りながら、次の授業の前フリで何を喋ろうか考える。
  5. で、最後はヨドバシカメラで、溜まっていたポイントを散財。

*1:そういや常設でコーネルも出ていたよ。既に見たかも知れないけど>id:spaceoddityくん

*2:このジャケットも蝋人形写真の系譜かな>id:photographologyくん